第191回:流行り歌に寄せて No.8 「フランチェスカの鐘」~昭和23年(1948年)
二葉あき子は昭和20年8月6日朝、前夜の呉での慰問を終えて、2歳の息子を疎開させていた松江に向かうため、生まれ故郷の広島駅から芸備線の汽車に乗った。
午前8時を数分回ったところで広島駅を出発した汽車は、約10分後、中山トンネルに入った。そのトンネルの中で乗客たちは「バッーン」という大きな音を耳にし、衝撃を感じた。
その時の汽車の位置は、原子爆弾の爆心地から5km。幸いにもトンネル内を走っていたために、乗員と乗客は被災を免れたのだ。
しかし、二葉は故郷で慣れ親しんだ街の景色も、恩師も、教え子も、また仲の良かった多くの友人たちも、一瞬のうちに失ってしまった。自分だけが逃げて生き残ってしまったという罪悪感が、彼女を責め苛むことになる。
『フランチェスカの鐘』 菊田一夫:作詞 古関裕而:作曲 二葉あき子:唄
1.
ああ あの人と 別れた夜は ただ何となく めんどうくさくて
さようならバイバイ 言っただけなのに
フランチェスカの 鐘の音が チンカラカンと 鳴り渡りゃ
胸はせつない 涙がこぼれる なぜか知れない この悲しみよ
2.
ああ 再びは かえらぬ人か ただ一目だけ 逢いたいのよ
愛しているわ 愛しているのよ
フランチェスカの 鐘の音が チンカラカンと 鳴り渡りゃ
声をかぎりに あなたと呼べど 人はかえらず こだまがかえる
フランチェスカの 鐘の音よ チンカラカンの 鐘の音よ
心も狂う 未練の言葉 せめて一度は 伝えておくれ
彼女はこの歌を、広島の原爆被爆者で命を失った人々への鎮魂歌(レクイエム)として、生涯大切に歌い続けていると聞く。そうなった背景には次のようなエピソードがあるらしい。私は、今回初めて知ったことだ。
この曲が発売された翌年の夏、彼女は連日、有楽町の日劇でのステージに立っていた。ある日この歌を歌っているとき、客席の最後列の壁際に、多くの広島時代の友人や教え子たちが応援に来てくれているのが見えた。
ステージ後、彼女は楽屋で友人たちが駆けつけてくれるのを待ったが、彼女たちはなかなか現れない。待ちくたびれそうになって漸く、彼女は気づいたのだ。壁際で応援していてくれた多くの顔は、みんな被爆の日から一度も会えなくなってしまった人々の顔だったことを。
その日から、彼女は『フランチェスカの鐘』をその人たちに向かって歌い出したのだという。
『長崎の鐘』のように予め魂を鎮めるものとして作られたものではない、どちらかというと蓮っ葉な雰囲気を持つこの曲が、レクイエムとして歌い続けられているのは、今まで何か不思議な気がしていたが、そういうことであったのか。
こんな話もある。発売当初は、この曲の一番と二番の間奏部に次の台詞が入っていた。
『フン・・・何でもないわ あんな人好きじゃなかったんだもの
修道院へ入るなんて バカねえあの人
だけど何だってこの胸がこんなに やっぱりあの人を・・・
そんな事ないわ そんな事 ハハハ ハハハハ ハハ・・・』
女優であり、歌手でもあった高杉妙子による台詞だった。彼女は、後に別れたが菊田一夫の妻でもあった。
ところが、この曲を元に菊田一夫原作により、昭和24年松竹で『フランチェスカの鐘』が映画化された際、再び発売されたこの曲から、上の台詞はすっかり消されていた。その後のリリースでも、基本的に台詞なしの作品になっている。
今では、最初の音源を容易に聴くことができ、有線放送などで流れているのは「台詞あり」の方である。確かに、かなりあばずれ風な響きを持つ声、最後の高笑いは少し突飛な感じさえする。けれども、この歌には必要なパートだと、私は思う。
なぜ消されたのか? 不良少女が人を信用していくことによって更正していくという、かなり曲のイメージとは違う映画の内容にそぐわなかったから、というのが一般的な見方のようである。
二葉あき子が、初めから気に入っていなかったという説もある。ここからは私見だが、彼女が日劇の出来事(時期的にもほぼ一致する)を発端にして、鎮魂歌と位置づけたときから、この台詞を削りたかったのではないか。高笑いはレクイエムにはあまりにも似つかわしくない、と考えたからだと思うのだ。
ところで、タイトルにあるフランチェスカとは何だろう。おそらく文脈上、修道院の名前かと思い、かなり調べてみたが該当するものがない。そもそも、台詞の言葉から察すれば、男性が入った修道院と言うことになるが、それならば女性名であるフランチェスカではなく、男性名であるフランチェスコが使われるはずだが。
いろいろ調べていくうちに、菊田一夫の言葉が見つかった。「(フランチェスカと言う言葉は)俺の好きな発音だから使っただけだよ」
あっさりしたものである。あまりタイトルの意味も深く考えずに作られた歌が、ある契機から一人の歌手のライフ・ワーク・ソングになっていったのだ。
やはり、歌とは不思議なものである。
-…つづく
第192回:流行り歌に寄せて №9 「憧れのハワイ航路」~昭和23年(1948年)
|