第160回:私の蘇格蘭紀行(21)
更新日2010/02/18
■ふたつの"Sorry"
4月16日(金)、朝起きると雪が積もっていた。しかし、昨日ほどの寒さではなかったので、のんびりと散歩に出ることにした。
Wick高校のあたりをのんびりと歩く。田舎町の高校だが、日本の田舎の高校にあるような、やりきれなさからくるツッパリ感というものが、まったく感じられない。もともとブロンドが多いのだが、いわゆる茶髪のように髪の毛を染めている生徒は一人も見当たらなかった。
昨晩、道端でフットボールのパスをしていた数人の高校生もみなそうだったように、荒れている感じはなく、のんびりと素直そうである。日本も何十年か前はこんな風だったのだろうが、どこで変わっていってしまったのだろう、などと考えながら近くのスーパーに入る。
こまごまとした生活用品をカゴに入れ、レジへの列に並んだ。その列にはおばさんが二人しか並んでおらず、どうやら知り合いのよう。何やら親しげに話しているが、よく見るとレジ係の人の姿が見つからない。
私も急ぐ理由もないので少し待ってみた。1分以上待った頃、レジ係の人が申し訳なさそうに、"Sorry"と言って戻ってきた。前の二人のお客さんは、「いいのよ、こんにちは。元気そうね」という感じで迎えるのである。
町に一軒しかなさそうな、大きなスーパーだった。周りを見ても、余裕なく急いている人は見つからず、みんな穏やかに買い物をしている。日本のように、「どのレジが一番早いか」とキョロキョロする様子はまったくないのだ。
ふと考えた。若者たちは、このゆっくり加減に、あまり苛立ちを感じていないのではないか。一緒になってその時間の過ごし方を楽しんでいるのかも知れない。どうしてここの人たちにはそれができて、日本人の多くがそれをできないのか、かなり真剣に考えたが答えが出なかった。
Phone Cardを購入して、駅前の公衆電話から家に電話をかける。こんなに長い間ずっと家から離れていたのは初めてのことで、会社員時代、原子力発電所に出張した時よりも長くなった。
小学校4年生になったばかりの息子が、一年以上飼っていたザリガニの「ザリ君」が死んでしまい、その日一日泣きまくった、父子ともにお世話になった小学校の教頭が転任になった、そして昨日は遠足だったことを話す。ザリ君のお墓のこと、教頭の転任先のことを聞き、父も昨日、ダンカンズビーに遠足に行ってきたことを告げた。
4月17日(土)、朝ウイックで家にエア・メールを出した後、再びインヴァネスへ。荷物を先日のMrs. Girvanの宿へ置いた後、街に出る。
ロンドン「酔処」の渡辺さんへ、無事に旅行をしていることと、引き続き荷物を預かっていただきたい旨の電話をする。彼は、万事OKだからゆっくり旅を楽しんで来なさいと答えてくれた。
オールド・ファッションドなパブに入り、店の女性に依頼して店内を写真に撮らせてもらう。被写体にもなってくれた一人の老人と話してみるが、彼が何を言っているのか聞き取れない。
最後は、「いいよ、楽しんでいきなよ」(こういう言葉はニュアンスでわかる)とさびしそうに笑いながら言う。私も寂しかった。確かに訛りも強いのだろうが、英会話の力がもっとあれば、まったく違う展開になったはずだ。英語が話せたらなあと、この旅の間何回もつぶやいた言葉が、また口を突いて出てきた。
ただ人の話に"Yes" "Thank you"としか言えない自分が、実にもどかしかった。
宿に帰ると、私の部屋以外は全室若い女性が宿泊していると聞かされる。私が、だれか男友だちと旅行しているのであれば、「やったね、ラッキー!」とほくそ笑む場面のような気もするが、何だか気後れしてしまい、正直まったくそんな気がしない。
トイレを使おうとして廊下に出ると、シャワールームからバスタオルを巻いただけの女の子が出てきて、笑顔で"Sorry"と言って駆け抜けて行ったのには驚いた。こちらの人は、あまりそれはどうということもないらしい。本当に気後れ。
"Oh, Good Grief"(ヤレヤレ)こんな時に限り、あのチャーリー・ブラウンがよく発する、タメ息混じりの情けない言葉が、英語で出てくるのである。
-…つづく
第161回:私の蘇格蘭紀行(22)