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第181回:三洋、悲願の社会人№1なるか?
更新日2011/01/27


昭和35年、激動の「60年安保」の年に東京三洋電機ラグビー部は創設された。
そして、途中1986年度に三洋電機、トップリーグとなった2003年度に三洋電機ワイルドナイツと、その名称を変えながらも、半世紀ラグビー部の歴史は続いた。しかし、パナソニックの完全子会社となるため、今年度でどうやら「三洋」の名前が日本ラグビー界から消えることになる。

数々の激しいラグビーを繰り広げてきた三洋であり、2007年度からは日本選手権3連覇に輝いている、今最も強いとされているチームだが、どうしても獲得できていないタイトルがある。それは「社会人№1」なのである。

ここで日本ラグビー選手権の大会形式の推移について少し触れておかなくてはならない。まさに三洋のラグビー部が創部された1960年度に「日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会」として始まったこの大会は、1963年度に現在の「日本ラグビーフットボール選手権大会」の名称となり、1996年度までは全国社会人大会の№1チームと全国大学選手権の№1チームとの対決で「ラグビー日本一」を決した。

その後、社会人と大学の実力の差が顕著になったことから、1997年度から2002年度までは社会人、大学の上位数チームによるトーナメント。2003年度のトップリーグ創設後は、いろいろと形は変えながらも、トップリーグ上位数チーム、大学上位数チーム、トップリーグの下部組織の上位数チーム、クラブ・チーム№1チームによる変則トーナメントによって日本一が決まる仕組みになっている。

かつて社会人№1を決めるのは、先述の全国社会人大会(正式には全国社会人ラグビーフットボール大会)であり、これは1948年度から2002年度まで55回行なわれている。そこで三洋は、厳密な意味で一度も№1になれなかったのである。

三菱自工京都、トヨタ自工、東芝府中にそれぞれ1回、新日鐵釜石に2回、神戸製鋼には3回決勝戦で当たり、すべての試合で準優勝に終わった。

殊に、1991年1月8日秩父宮ラグビー場で行なわれた対神戸製鋼戦は、後半インジャリータイムまで三洋が16-12とリードし、あと1プレーで終了と言うときに、神戸製鋼のWTBウイリアムスに走り切られトライを許し、その後のゴールも決められ18-16(当時トライ&ゴールは6点)の瞬間ノーサイドの笛という、劇的な敗戦を喫した。

その時、三洋電機の闘将、宮地克実監督がグッと唇を噛みしめていた姿を、ラグビーファンは誰も忘れることができない。

先ほど「厳密な意味で一度も」と書いた。「優勝」と言うことであれば、一度はしているのである。1996年2月11日、花園ラグビー場でのサントリーとの決勝、引き分け両チーム優勝。ところがトライの数がサントリー対三洋4-3で、明治大学と対決する日本選手権への出場権はサントリーが獲得した。

この試合、三洋は頗る調子が良かった。試合早々からトライを奪取し、前半の途中で27-8とサントリーを圧倒、テレビ実況のアナウンサーからも「初優勝」という言葉が出始めていたのである。

三洋が27点目のゴールを決めた瞬間に、テレビ画面に映されたのが総監督になっていた宮地さん。勝利を確信したのか、うっすらと涙を浮かべ始めたのをカメラはしっかりと捉えていた。

浪花節的な物言いをすれば、勝利の女神は苦労人の男泣きを好ましく思わなかったようだ。その宮地さんの涙の瞬間から三洋の選手の動きが止まってしまった。反対にサントリーの選手が生き生きとし始め、35歳のベテランWTB吉野が連続トライを奪う。

そして、27-20で迎えた後半インジャリータイム。タッチラインぎりぎりのボールを死守したサントリーは、次から次へと大切にパスを繋ぎ、最後は、今度は反対側のWTB尾関が、三洋のPR杉山の決死のタックルを抜き去ってトライ、主将SH永友の少し難しい角度からのゴールも決まり、27-27でノーサイドの笛が鳴った。

テレビには「両チーム優勝」のテロップが流れたが、画面に映っているのは明らかに勝者と敗者の姿だった。意地悪なカメラはまた宮地さんを映す。闘将は先ほどとはまったく違う味のする涙を流していた。偶然にも、この試合は現三洋監督、飯島均氏の引退試合だった。

歴代、強豪と呼ばれている社会人チームの中で、学生№1との日本選手権で日本一を争っていないのは、唯一三洋だけなのである。

トップリーグの時代に入り、最初はあまり力を発揮できなかった三洋も、数年前から再び強豪入りをして、2007年度、8年度、9年度の直近3年度は見事、日本選手権3連覇を果たしている。

殊に2007年度は、トップリーグ、レギュラーシーズンを13戦全勝による暫定一位通過という、今までどのチームも成し得なかった偉業を達成し、その後の日本選手権もトーナメントを勝ち抜いて三洋初の日本一になったシーズンである。

ところが、従前の社会人大会の決勝と同じ位置にあるトップリーグ、プレーオフトーナメントの決勝戦ではサントリーに敗れてしまった。そして2008年度、9年度でもその決勝戦では東芝に負けているのである。

三洋の選手たちの心中には、一度も達成したことのない「真の社会人№1」への熱い思いが間違いなく募っていることだろう。そして、今年のトップリーグ、プレーオフトーナメントの準決勝でトヨタを退け、三洋は秩父宮ラグビー場で、1月30日(日)午後2時キック・オフの13回目の決勝戦に臨む。

対戦相手は、準決勝で東芝との死闘の末勝ち上がってきたサントリー。「三洋」の名前で戦う最後の社会人大会。ノーサイドの瞬間、宮地さんの目に浮かぶ涙の味は、さて甘いか、しょっぱいか。

-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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