第201回:天災の国
日本で大変なことが起こってしまいました。
まだ、正確な被害状況が分っていませんが、膨大な数の人の命が失われ、国自体歴史上かってなかったほどの大変な被害を受けたことは確実です。
亡くなられた方々の冥福を祈らずにはいられません。
お見舞いメール、お見舞い電話、そして直接私の事務所にダンナさんの家族の安否を気遣う人が引きもきらずやってきました。改めてウチのダンナさんが日本人であることを認識させられました。私も日本の情報を集めるにオオワラワでした。
私たち、一般の外国人が、日本にある程度の期間滞在して驚くのは地震の多さです。ほとんどの西欧人、ヨーロッパの地震大国イタリアやギリシャでも、日本に比べ地震の発生率、従って体験率は非常に少なく、地震という言葉は辞書の中にある単語としてしか知らず、実感が伴いません。日本の地震発生率は全世界の5分の1にもなるという統計もあります。
知り合いのスペイン女性も日本滞在中に始めて小さな地震に出会い、顔色が変わるほど驚き、その後一呼吸置いて、ラテン的に絶叫したと、笑い種になっていました。日本人にとって、地震は生活の一部、付き合いの長い、いつ悪くなるかわからない持病のようなものなのでしょうか。
そういえば、関東大震災のとき、駐日フランス大使で、詩人でもある、P.クローデル氏がどこかに「日本人は寝ている巨人の上で生活している」と書いていました。彼自身、関東大震災で巨人の背から振り落とされるような体験をしました。
こちらのメディアも、日本の地震と津波、さらに恐ろしい原子力発電所のことで埋め尽くされています。サイエンス・フィクション映画『ディープ・インパクト』では、巨大な隕石が海に落ち、津波が発生するというストーリーでしたが、ニューヨークを襲った津波の水がまるでサンゴ礁の海水のように澄んだ水色だったのは、海の水は青いという先入観から逃れられなかったからでしょう。
ですが、今回の津波の映像を見て海底の泥を巻き込み、猛スピードで迫ってくる水の破壊力は、誰しもの想像を上回るものでした。
インターネットで見た映像の凄さと対比し、日本人の沈着さ、こんな非常事態になってもパニックに陥らない自己制御の強さに、ニュース・キャスターたちは口を揃え尊敬を通り越し、感動していました。
私も最大級の悲劇を黙って受け容れる日本人を見て、鳥肌が立つほど感動しました。何千人とJRや地下鉄の駅にいる人々は、誰も割り込もうとせず、叫ばず、黙々といつ来るか分からない電車を待っているのです。そこには集団ヒステリーに陥る要素は全く見られません。
もう一つ感動的なことは、アメリカだけではないでしょうけど、日本以外のどこの国でも、こんな災害が起こったなら、これぞ幸いと火事場泥棒、こそ泥から大掛かりな盗賊団まで出没し、ニワカストリートギャングが暴れ回り、ショーウインドウが壊れたお店(故意に壊すことが多いのですが)は、文字通りメチャクチャに荒らされるのが普通の現象です。
それが、日本に限っては、他人の不幸につけ入るような犯罪が、皆無ではないでしょうけど、無視できるほど少ないことに頭をガーンと殴られたようなショックを受けました。これが、もし私が住んだことのあるスペイン、プエルトリコ、そしてアメリカで起こったなら、災害の後に起こる人為的な破壊行為が横行し、被害は倍になっていたことでしょう。
これからの復興には長い、長い年月と大変な労力がかかることでしょう。
もうすでに援助活動が始まっています。このコロラドの田舎町でも、衣料、食料、義援金集めが大掛かりに行なわれています。アメリカ政府も140人からなる原子力発電所のプロを含む援助隊をすでに現地に送り込みました。
同時に海外からの援助も気軽に受け入れてあげて欲しいと思います。言葉の障害なんて無視して構わないのです。食べ物も、炊き出しおにぎりでいいのです。寝るところも、避難所でも駐車場でもゴザを敷いただけで充分なのです。全く特別扱いをせず、日本の各地から来たボランティアと全く同じ扱いをしていいのです。
様々な援助を広く受け容れながら、日本人の一人ひとりが自分のやらなければならないことをコツコツと地道にこなし、今よりももっと素晴らしい国を作り上げていくことを疑いません。
第202回:多文化主義の敗北…?
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