第161回:ピル公認50周年
50周年記念というのは、何事においても、とても大きな節目としてとらえられます。きっと、私たちの人生のモノサシで測ることができる年月ですし、切れがよいからでしょう。よく、何々から半世紀とか、結婚なら「金婚式」として記念碑的にお祝いします。
今年、2010年は何から半世紀経った年でしょうか。
アメリカの雑誌やテレビが騒ぎ出すまで全く気が付きませんでしたが、飲み薬の避妊薬が公認されてから50年経った記念すべき年だというのです。アメリカの保険省(FDA,Food
and Drag Administration)が、1960年の5月9日に"ENOVID"という経口避妊薬を許可し、それから50年、半世紀というわけです。
ピルというのは錠剤の一般名詞ですが、その日以来、単にピルと言えば経口避妊薬の錠剤のことになるほど、それこそアッと言う間に全世界に広まりました。1961年には120万人の女性がピルを呑んでいますし、1965年には650万人に急増しています。経済誌の『Economist』でさえ、ピルの普及は20世紀最大の出来事と書き立てているほどです。
ピルがなければ、女性解放運動=ウーマンリブもよほど違った展開になっていたことでしょう。たとえば、1960年に夫婦は平均3.6人の子供を産んでいましたが、1980年には2.0人に減りました。そして、6歳以下の子供のいる母親が外に働きに出る割合は、1960年に30パーセントで、70パーセントの母親は専業主婦でしたが、1980年には、その数字が逆転し、70パーセントの母親が外に働きに出て、プロの道を歩み始めているのです。
妊娠、出産という種保存のための大事業を人間の意志でコントロールしようというのですから、当時、それはそれは大きな反響、主に反対運動が巻き起こりました。
当初、結婚している女性にしか、お医者さんはピルの処方箋を書くことができませんでした。独身女性は対象外だったのです。それでは、産児制限のできない独り者の女性が妊娠し、私生児が増えすぎるとか、黒人の団体は、ピルは黒人の人口を減らそうとする政府の陰謀であるとか、ピルはアメリカを縮小、消滅させるための共産主義国の新兵器だとか、とてもにぎやかなことでした。
一番反対したのは、アメリカで大きな影響力を持つカソリック教会です。セックスとは無縁のお坊さんたちが、セックスが許されるのは純粋に子供を作るためだけで、避妊しながらセックスに喜びを見出すのは教義に反するというのです。当時のローマ法王、ヨハネ13世や引き継いだパウロ6世が、永遠に終わらない避妊会議に明け暮れている間に、アメリカのカソリック教徒の女性のなんと3分の2がすでにピルを呑んでいたのです。
ピルはフリーセックス、ウーマンリブという社会現象を生み出しましたが、妊娠から開放された女性たちが男性と同じ立場に立ち始め、男女の関係を大きく変えるきっかけを作ったことは事実です。そして、社会全体もピルによって変っていきました。
確かに、一つの薬が社会に与えた影響の大きさは、小児麻痺のワクチン、結核のための抗生物質に勝るとも劣らないほど、大きなものでした。
ピルは、戦後、社会に一番大きな影響力を与えた発明と言ってよいでしょう。いや、「ヴァイアグラ」の方が……というのは養老院にいるお爺さんだけですよ。
第162回:牧場での出会いと触れ合い
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