■グレートプレーンズのそよ風 ~アメリカ中西部今昔物語


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。





 

■更新予定日:毎週木曜日

 


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第1回:ウイルカーおじさん その1

更新日2006/03/02


私には メモワー(回顧録)を書くほど偉い経歴を持っているわけではありませんし、人に語るような大それた経験もありません。ただ、人間より牛の方が多い、アメリカの中西部の田舎で育った体験を思いつくままに語ろうと思うのです。もとより外人が書いたおかしな日本語をのらり編集部がどうにか意味の通じる本当の日本語に添削してくれました。

◇◇◇◆◇◇◇

私が物心がついた時から、ウイルカーおじさんは、私のお祖父さん(そして後にお父さんが引き継いだ)の農園に棲んでいました。何でも、お祖父さんがコロラド州からここミズーリ州、キャメロンに越してきた昔、すでにウイルカーおじさんは牧場の一角に小屋を構えていたそうです。言ってみれば、お祖父さんはウイルカーおじさん付きで牧場を購入したということでしょうか。

ウイルカーおじさんは立派な髭をもっていました。白いあご髭が鼻の下から柔らかくうねるようにあごの下まで流れ首を隠し、どこに口があるのかわからないほどでした。髭は頭からもみあげ、そしてあご髭へと切れ目なくつながり、それが表情を包み隠すように顔半分を覆ていました。ボソボソした太く短く垂れた眉の下に沈んだ灰色の目を持っているのでした。

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これがたった一枚のウイルカーおじさんの写真です。
普段着の野良仕事用のつなぎを着ていますが、
やはり写真用に洗濯したきれいなシャツを着て、
髭も髪も櫛を入れています。

ウイルカーおじさんに会う人は、真っ先に彼の髭に印象を捉えられ、髭だけが彼の特徴だと思い込んでしまいますが、ウイルカーおじさんと5分でも話をすると、湖のような目に優しさが溢れるのに気が付くはずです。陽気でいつも大声で冗談を飛ばしている私のお祖父さんと対照的に、ウイルカーおじさんの話し声はとても静かで、決して声を荒げることはありませんでした。

天涯孤独という言葉はウイルカーおじさんのためにあるのでしょう。彼が身内のことや自分の昔のことを話すのを聞いたことがありません。何でも東の大きな町で鍛冶屋をしていたことがあると人づてに耳にしたことがあります。ウイルカーおじさんが亡くなるまで, 親類の人が訪ねてきたことも、ウイルカーおじさんが誰かに会うために牧場を出ることもありませんでした。

私のお祖父さんは口癖のように、「ウイルカーに作れないものはない」と言って、自分のことのように自慢していましたが、その言葉の通り、農機具,耕作器具、馬のハーネスや蹄鉄など、あらゆるものを自分で作り、また修理するのでした。

今でも、とても不思議な気がするのですが、どうしてやっとヨチヨチ歩きができるようになった私が300から400メートルも離れたウイルカーおじさんの小屋へたどり着けたのか、そしてどうして習慣になるほど頻繁にウイルカーおじさんの小屋に行くようになったのか、何がそんなに私を惹きつけたのか、分かりません。 おじさんは特別に子供をあやしたり、お話を聞かせてくれたりする訳ではないのです。

◇◆◇

ウイルカーおじさんが作った、鉄の棒を三角形に曲げただけのとてもよく音の通るベルの代用品が遠くから聞こえてくると、それは我が家の夕食の合図です。

母屋への帰り道は、ウイルカーおじさんの肩車に乗ったり、おんぶしてもらったりで、おじさんのパイプタバコと干し草、そして汗の入り混じった匂いを嗅ぎながら眠りこけてしまうのが常でした。おんぶしてもらうには大きすぎるようになってからは、4、5歳になってからでしょうか、「さあー、晩御飯の仕度ができた頃だ」と、ニ人で母屋の方へと歩いて帰ったものです。

何かの理由で母か父に叱られたときに、私はウイルカーおじさんの小屋に直行する傾向がありましたが、そんな時おじさんは私が口を開く前に私の心を読み取り、「そんな怒った顔をして、いったいGood little Graceはどこにいったのかなー」と棚の上の広口ビンからクッキーを一枚出してくれるのでした。そして、小さな子供相手に話したところで、半分も分からないトウモロコシの作柄や、牧草の刈り入れ、馬や牛のことなどボソボソと話すのでした。 

自分が育った家や部屋はおぼろげなイメージしか残っていないのに、おじさんの小屋は古くても焼付けのしっかりした写真のように思い出すことができるのです。母屋から2本のワダチの部分だけ土が露出した道を牧草畑を迂回するように坂を下りるとヒッコリーの大木に囲まれた小屋が見えてきます。

東側と南側はL字状にポーチ(縁側)が小屋を囲み、そこにスイングベンチが鎖で吊り下げられていました。私のお気に入りの場所です。大人でも優に3人並んで腰掛ることができる大きなものでした。かなり大きくなってからも、私は足を投げ出すように横向きに座り、ゆるやかに揺らしながら片方の肘を背もたれに載せ本を読むのが大好きでした。

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ウイルカーおじさんのポーチにあったスイングベンチを、
私の記憶に頼って夫が造ってくれましたが、
やはりどこか違うのです。

ウイルカーおじさんの小屋はおじさんの歳と同様にどこもここも古びていました。東側に蚊除けの網戸のついたドアがあり、入るとすぐ右にストーブが据え付けられ、冬には湯気をたぎらせたやかんがストーブの上に載っているのでした。

ストーブの奥は、恐らくウイルカーおじさんが自分で作った長い作業台のような木製のテーブルがあり、大きな水瓶がそのテーブルのストーブよりの方に置かれ、古びた缶やビン、カップ、ティーポットなどが窓の上の棚に載っているのでした。もちろん、小屋には電気や水道のたぐいはなく、水は20メートル離れた井戸からバケツで運び、水瓶に溜めておくのです。

天井には灯油で灯す大きなハリケーンランプが下がり、それが唯一の灯りでした。木の床は長年に渡って踏まれ、時にはモップで洗われたせいでしょう、硬い木の節の部分が減らずに高く盛り上がるように残り、柔らかい部分は使い込んだ砥石のように凹んでいました。 

そんなむき出しの木の床に背もたれのある椅子が一つと丸い小さなスツールがあるだけです。部屋の左側にはベッドというより木の枠といった方が当たっているでしょうか、長方形の木のフレームにわらを敷いただけの寝床が置かれていましたが、それがウイルカーおじさんのすべての家具、持ち物でした。

学校に行くようになってから、アメリカの古典、ヘンリー・ソロー(Henry Thoreau)の「Walden」(日本語ではたしか、『森の生活』という訳題ではなかったかしら、間違っていたらごめんなさい)を読む、というより読まされたとき、ウイルカーおじさんの小屋のほうがズーッと簡素で温かみがあると思ったものです。

私が、モノを持たない、それが不可能ならモノに囚われない生活に憧れるようになったのは、退屈な古典の影響ではなく、子供の頃からウイルカーおじさんのそばにいたせいではないかと思っています。

…つづく

 

第2回:ウイルカーおじさん その2


 
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