第181回:日本語教室、言葉は人、言葉は国
今、また中国で排日運動が起こり、とりわけ地方の都市では、日本人経営のスーパーやお店、電化製品屋さん、トヨタの販売店などが壊されているそうです。どうも自分の国の政府に対して真っ当な民主化を求めるデモは不可能でも、外国をバッシングする暴動の取り締まりはないに等しいようですね。ノルウエーとはノーベル平和賞を巡って、ノルウエーへの抗議、文化事業の中止に始まり、国交断絶にまで行きかねない雲行きです。
世界での嫌らわれ者ナンバーワンのアメリカは、そんなバッシングを受けるのにとても慣れています。多少のことでは、ああ、またどこかの国のマクドナルドが襲われたか…くらいにしか思いません。アメリカの象徴になってしまったマクドナルドは本当にご苦労様なことです。でも、マクドナルドにフランチャイズ・ローヤリティーを払っただけで、実際の資本も、働いている人も、原材料もすべてその国のもの、地元の産業なのですが…。
日本人が歴史的に嫌われていると思っていた町、日本軍の南京大虐殺博物館まである南京の大学で、長年日本語を教えている斉藤文男先生が毎日新聞のインターネットに素晴らしいエッセイを書いておられます。
斉藤先生の下で日本語を学んでいる学生さんは、政府の扇動に乗って排日運動に走る、瞬間湯沸かし器タイプではなく、冷静に日本と中国との関係を受け止め、注視しているようです。それは単に斉藤先生の謙虚で懐の深い人格に影響されてのことでしょうね。 彼のような人が本当の文化の架け橋になっていくのでしょう。
私も日本語を教えていますが、私はネイティブスピーカーではありませんし、とても日本語を自由に操るには程遠い能力です。ですが、私のアシスタントをしてくれている日本女性のFさんが、とても美しく(彼女の容姿もですが)正しい日本語を話しますので、授業は二人三脚のように進められます。Fさんの明るさ、天才的な会話の上手さ、人間対応速さ、面白さが語学学習という、忍耐の要る勉強をどれだけ救ってくれているかわかりません。いつかFさんが南京の斉藤先生のように、日本とアメリカの架け橋になることを期待しています。
アニメ、漫画は、ポップミュージックと並びサブカルチャーとして一つの国を知るための欠かせない要素になっています。とりわけ今日の日本文化にはJ-ポップとアニメ、漫画は無視できない影響力を持つようになってきました。私の生徒さんたちもアニメファンが60パーセント以上いるでしょうか、日本語を学ぶきっかけはアニメにあるのです。
彼らにとっての日本文化は禅や武士道、ミシマ、カワバタではなく、アニメのキャラクターなのです。コスプレ(コスチューム・プレイという和製英語をさらに短縮したもの)という言葉も彼らから教わりました。アニメのキャラクターの服装をして授業に出てくる生徒さんもいます。
アニメは一つのきっかけですから、それから日本語を学び、アニメ以外の日本も知ってもらおうと思うのですが、彼らの頭脳は一度、アニメ語がインプットされると、丁寧語、敬語などを習おうとせず、あくまでアニメ語で通そうとするのが困りモノです。そして、悲しいことですが、アニメマニアの生徒さんのほとんどに私は落第の成績をつけなければなりません。彼らは、アニメを見る以外、勉強をしないのです。
それとは逆に、日本語を真剣に学ぼうとする生徒さんのグループがあり、授業とは別に日本語勉強グループが二つも生まれ、週何度か集まり自分たちで勉強会を開いたり、金曜日の晩には、大学のすぐ近くにある家庭的な日本料理屋さんで会食、飲み会を開いています。もちろん陰でFさんがそんなグループのお世話をしています。
私にとってとても嬉しいことですが、日本人2世、3世の生徒さんが、お爺さん,お婆さんからの聞き覚えの片言日本語だけで満足せずに、私の授業に出てきてくれることです。個人のアイデンティティーというのはやはり言葉が大本になります。日本語ができなければ2世、3世は日系人とは言えず、アメリカ人になってしまいます。
少し話を広げれば、ただ日本人の血が流れているだけでは、日本の文化を背景に持った日本人とは言えないと思うのです。そして、文化の基本になるのが言葉です。さらに押し広げれば、共通の言葉を持った集団が国を作るのではないでしょうか。
アニメ出身の生徒さんには失望させられることばかりですが、別に日本語を熱心に学ぶグループも誕生し、日本語の課程もⅠ、Ⅱを経てⅢまで進む生徒さんが20人ほど出てきて、再来週は日本大使館主催の日本語弁論大会に代表を送るまでになりました。
来学期は日本語Ⅳまで開講できるのでないかと楽しみにしています。そして、私の日本語を追い抜いて行く生徒さんがたくさん出ることを期待しています。
第182回:老人と山
|