第182回:老人と山
初雪はいつも驚きと感動を与えてくれます。今日、10月25日の朝、起きると、昨日とは全く違う、真っ白の世界が広がっていました。自然の大魔術です。ウキウキと雪の中を散歩したくなる感情はどこからくるのでしょう。通勤に余計な時間がかかることを真っ先に心配する人と、初雪を喜ぶ人の違いはどこからくるのでしょうか。
先週、近くの山に行きましたが、吹雪で標高3,000メートルほどの登山口まで行って引き返してきました。もう山のシーズンは雪がもっと積もり山スキーやカンジキを始めるまで、終わりです。
コロラドにはフォーティーナーと呼ばれる1万4,000フィート以上の山(4,240メートル以上)が54峰あります。幾つのフォーティーナーを登ったかが山歩きを好む人の自慢と指標になります。でも、車で頂上近くの登山口まで行ける、とても簡単に登れる山から、麓にたどり着くまで2、3日かかる山奥のそのまた奥のような山まであります。
私たちは数年前までに9つのフォーティーナーに登りました。ですが、その後、ここ5、6年フォーティーナーに拘るのを止め、サーティーナー(1万3,000フィートクラスの山)でも、それ以下でも、魅力溢れる山なら、そして老体向きに登り易い山ならそちらの方に足が向くようになりました。やはり歳なのでしょうね。
コロラドの山羊(マウンテンゴート)を自認、他認しているうちのダンナサンも、このところ登頂に拘らず、引き返すようになりました。先週は、うっすらと雪に覆われているとはいえ、急なわけでなく、狭くもなく、とても容易なハイキング道で、ウチの山羊ダンナ、足を滑らせ、スローモーションの映画でも観ているような様子で、オットットットといった感じで危うく転ぶところでした。もし転んでいれば崖下に転落し、打ち所が悪ければあの世に行くところでした。運が良くても打撲症を負ったことでしょう。おまけに山羊としての自尊心は大いに傷つくことは確実です。なんといっても、そのとき私の他に若い綺麗な女性が同行していたのですから。
それにしても、山の事故での多くは圧倒的に中高年層に起こっています。日本での山岳事故も同様だと聞いています。足を滑らせたり、バランスを崩し崖から落ちてしまう事故がなんと多いことでしょう。コロラドの山は3,200から3,300メートルに森林の限界線があり、それ以上の高さではすべて岩、大きな石から、崩れやすい砂利状のとても滑りやすい状態になります。おまけに、森林の限界を超えたあたりから、登山道、ハイキングコースのような道がなくなり、自分で予想を立てルートを決めなければなりません。親切な人が築いたケルン(※)が大きな助けになりますが、いつもケルンがあるわけではありません。
話のスケールが違いすぎますが、世界で8,000メートル以上の山は14峰あり、そのすべてに登った超人がすでに20人もいるそうです。私たちがフォーティーナーズにいくつ登ったと自慢している倍の高さの山、フォーティーナーズの頂上でもまだ、ヒマラヤの8,000クラスの山のベースキャンプの位置にさえ着いていないのです。世の中には凄い人がいるものですね。
日本人の登山家、田辺治さんが遭難しました。田辺さんはヒマラヤの8,000メートル級をすでに10峰も登頂し、今シーズン、もう一つ加えようとしていたところ、雪崩に遭ったようです。田辺さんは恐らく世界でトップクラスのクライマーですし、ヒマラヤを一番良く知っている人でしょう。私たち下界の人間が、「山を甘く見た」と批難できるような人ではありません。本を読んだり、講演会で聴いたり、山で会ったりした登山家は100パーセント近く、信じられないほどタフなうえ、とても謙遜な人たちでした。大自然を相手にしていると謙虚な性格になるのでしょうか、それとも労多く、報いられることの少ない登山というスポーツに打ち込む人は、もともとそのような性格の持ち主なのでしょうか。
近くのアスペンで、シカゴからきた登山家が遭難し、すでに一週間が経ち、絶望視されています。彼も山岳会に30年以上所属しているコロラドの山の大ベテランでした。
このように山登りと言うスポーツには避けられない危険が伴います。よく、引き返す勇気を持てとか、天候と自分の体の調子をよく見極めろとか言いますが、突き詰めると自分の身の安全のためには家を一歩も出るな……ということになりかねません。山歩きは、街中のジムで汗を流すのとは根本的に次元が違う行為なのです。
自分の体力の限界も、何度も山に登り、初めて知ることができることですし、高山病も体験してこそ限界が分かります。体を限界近くまで追い詰めなければ、自分の体力、精神力を測ることはできないと思います、と言えるほど私が自分の限界に挑戦してきたわけではありませんが、その程度の推測が許されるくらいの経験は積んできました。
山登りには、観衆がおらず、褒賞もなく、ただ自分のなかでの達成感があるだけだ、そして自ら危険を犯したり、冒険に挑むのではなく、自然界に入り込むこと自体、内在する危険に直面する可能性を消すことはできない、100パーセント安全な登山など存在しない、そこが他のスポーツと大きな違いだと、うちの衰えてきた山羊仙人はよく言います。
そんな心境が私にも少し分かってきたような気がします。同時に、今シーズンも、落石に遭わず、骨折、捻挫もせづ、遭難せずに無事に終えたことを感謝しています。
※ケルン:山頂や登山道、分岐点などを表すために、小石を円錐状に積んだもの
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