第160回:自由教育と放置教育=無教育
私が勤めている大学は、コロラド州の西はずれのユタ州の州境近くのとても保守的な田舎町にあります。アメリカでは、保守的イコール原理主義キリスト教的色合いが濃いことを意味します。
誰でも行くような公立の学校に自分の子どもを通わせると、ドラッグに走ったり、いじめにあったり、神様の存在を信じていない先生から悪い影響を受けるからと、主に母親が自分で我が子を教育する風潮が大きくなっています。
ホームスクーリング(Home schooling)と言い、全く学校に行かせずに、無菌状態の? 自分の家で小中高までの教科を教えるのです。100パーセント近くは保守的なキリスト教徒の家庭です。
私のクラスにも、どのくらいでしょうか、30人のクラスに一人くらいの割合でホームスクーリングで大学入学資格を取り、入学してきた生徒さんがいます。彼らは全般的に勤勉でよく勉強し、抜群の成績で、トップではないにしろ、成績は上位の方です。
アメリカ全土で小中高校の生徒さんは560万人(プレスクール、幼稚園も含めて)いますが、そのうち150万人は在宅学習していいます。彼らは一応、その州の教育委員会のガイドラインに沿って、自分の子供を教え、高校の科学や数学は同じ教会信者で教師の資格を持っている人に特別家庭教師を依頼したりして、そこそこの学力を身につけて高校の課程を終えます。
問題なのは、その中でさらに10万人くらいの子供たちが、教科書も使わず、教育委員会の指針を全く無視して、"自由奔放に"育てられていることです。
アメリカ人にとって、この"自由"という言葉は、善悪を超えた絶対的な響きをもっています。何事も"自由"というオマジナイを唱えると反論できず、許されてしまいます。このような育児、教育を"unschooled"とか
"Non-school"と呼び、子供の自主性を重んじ、子供を信じ、子供が興味を持った教科、分野だけ集中的に学び、子供が嫌いな分野では何もしなくても良い、全く勉強しなくても良い、すべてを子供の自主性に任せる、親、教師は一切口出ししないヤリカタです。
驚くべきことですが、学校に通わせず、在宅学習をさせなくても、全く法律に触れないのです。州によって異なりますが、11の州では在宅学習も自由奔放で、何も勉強しなくてもよく、Unschooledも報告義務さえありません。15の州では、一応届け出る義務がありますが、教科のチェックはありません。
たった六つの州だけが親の教育者として適任不適任、カリキュラムのチェック、また教科によっては教員資格所有者が教えることを義務付けていますが、全般的に見れば、在宅学習=Home
schoolingは野放しだと言ってよいでしょう。
「蝿の王」("Lord of fly" William Golding;ノーベル文学賞受賞)というゴールディングの小説があります。子供たち十数人が無人島に漂着し、次第に暴力が支配するようになり、子供同士で殺し合いにまで発展していくストーリーです。社会的規制と受け継がれていく教育、文化がなければ、子供たちは、ただエゴの塊のような怪物になり、野生化していくという怖い話です。
自分の子供にUnschooledを許している親は、無人島で野放しに子供を育てるのと同じようなことをしていることになるのです。そんな親は、我が子が将来大人になったとき非社会的怪物になること、社会不適応人間になってしまう可能性が大きいことが、なぜ分からないのでしょうか。
学校は教科書を通じて勉強するだけの場所ではないのです。喧嘩をし、友達ができ、チームの一員として組織に貢献することを知り、互いに刺激し合って育っていくところなのです。他の生徒と自分を比較することで、自分の能力を知ることも大切です。そして、次第に自分の能力の限界、自分の欲求と社会的制約の間に自分の位置を見付けていくのです。
なんだか年寄りの教育者じみた論調になってしまいました。
幸いなことに、Unschooledの子供たちが、大学入学資格を通る可能性はまずありませんが、そんな協調性ゼロの学生が私のクラスに入ってきたらと、想像しただけでもウンザリさせられます。
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