第47回:日本的贈り物の習慣
更新日2008/02/14
冬休みに日本の古典を読みました。『枕草子』『徒然草』『方丈記』『源氏物語』、そして夏目漱石の作品です。私の日本語の能力ではとてもそんな古典を読みこなすことはできませんので、すべて優れた(かどうか、原文と比較できないので分かりませんが、ともかく皆が優れていると言っている)翻訳で読みました。
半ば世捨て人で仙人のような吉田兼好が、愚痴といってよいほど世俗のことごとを批判しているのは滑稽なくらいでした。その中で、いい友達とは「第一にものくるる者、第二には医師、第三に知恵ある者」と書いているのを読んでびっくりしました。なんと即物的な、自分にとって都合のよい見聞なのでしょうと、あきれたのです。今でも友達にお医者さんと弁護士(知恵ある者?)がいれば好都合ですが、第一番目の友達にモノをくれる人というのはどんなものでしょうか。
実際、日本に住んでみてよく分かりましたが、日本人は実にお土産、贈り物が好きです。お年玉に始まり、成人式、入学祝い、卒業祝い、暑中見舞い、お歳暮、お葬式や出産祝い、そして輸入モノの誕生日のお祝い、クリスマス、バレンタインデー、結婚記念日と際限がありません。その上どこかのお宅を訪ねる時には、手ぶらで行くのは失礼なのか、タダかっこうが悪いだけなのか、何かしら気の利いたお菓子折りの一つも持っていかなくてはなりません。
打ち明けて言えば、私はそんな風にモノを貰うのが好きです。私は吉田兼好法師のように、隠棲しているわけでなく、世俗にどっぷりと浸かって生きているので、友人たる第一の条件はモノをくれる人と規定したりしませんが。ただ、小さな贈り物を開けてみるとき、なんとなく心がうきうきする自分をみつけ、そんな喜びが自分の中にまだあることを認めないわけにはいきません。
日ごろお世話になっている人へ、ささやかなお礼をするのは美しい習慣だと思います。でも贈り物の面倒なところはいつも貰いっぱなしにできず(政治家は貰いっぱなしに慣れているようですが)、お返しをしなければならないことです。それも、送る相手との関係、会社の上役、親戚、仕事の上で取引のある人、友達、会社の同僚など、微妙に違う立場を見極めなければならないので、とても難しいです。
もちろんアメリカでも、違った意味ですが、贈り物の習慣があります。日本の影響を受けてのことでしょうか、それもだんだん派手になっています。それにしても、まだ今のところは個人的なレベルの誕生日とかクリスマス、結婚記念日などに限られていて、会社や仕事の関係者に毎年2回暑中見舞いとお歳暮のようにプレゼントを盛大にばら撒くようなことはしていません。
日本の航空会社が始め、すべての航空会社があっという間にマネをしたオシボリサービスのように、日本的贈り物の習慣が西欧全体に広がる可能性はあります。 と言うのは、日本の商社、貿易会社、銀行の方々が仕事で西欧の国々に行き、会社を訪れる時、必ず手土産を渡すからです。そんな習慣のない西欧の会社の人々に、お土産が意外に好評で、日本人が帰った後、社内でワイワイ騒ぎながら包み紙を開き、歓声を上げているのを何度も目撃しました。
もっとも、アメリカ人にはタダでもらえるものなら何でも喜ぶ傾向がありますし、そんなお土産が商売上の取引に有利に働くかどうかわかりませんが。
日本の友人からお正月になると毎年のようにお餅やお雑煮の材料、お菓子が郵送されてきます。まるで玉手箱のように次々と箱の中から出てくる日本的なおいしいものに、自然と生唾が湧いてくるのを抑えることができません。たとえ、その友人が何も贈ってくれなかったにしろ、最高の友達であることは変わらないのですが、私の好物を見透かしたような小包みが届くと、やはり嬉しさ百倍なのです。どうも私は日本の食べ物に釣られやすい性分で、とても吉田兼好を非難できる立場ではなさそうです。
明日は送って頂いた材料をふんだんに使ってお雑煮を作り、旧正月を祝うことにします。
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