第23回:日本後遺症
更新日2007/08/09
日本に滞在した後は、いつも後遺症が残ります。
後遺症の何パーセントかは日本の食べ物ですが、それ以外にも、あんなに親切で丁寧な人間の接し方があることに、日本へ行くたびに驚かされます。道行く人にモノを尋ねると、必ず懇切丁寧に教えてくれるし、店員さんも駅員さんもとても優しく親切に対応してくれます。
それが、アメリカに一歩足を踏み入れたとたん、税関のお役人、飛行場のセキュリティの警備員、果てはスチューワデスまで、皆が皆無愛想で、つっけんどんで命令口調なります。日本なら、彼ら、彼女らはすぐにクビなることでしょう。サービス業では、日本とアメリカで人と接するやり方には天と地の違いがあります。どうしてアメリカがこんなことになってしまったのでしょう。
長いことスペインに住み、十数年ぶりに日本に帰ってきた友達に東京の繁華街で会いました。もう中年に差し掛かった日本人の友達は、開口一番、「東京はなんと日本人の多いところだ」と、感極まった表情で言ったのです。
今、世界中のどこの都会に行っても、アジア系、インド系、アラブ系、黒人、アングロサクソン系、ゲルマン系、ラテン系と雑多な顔に出会います。とりわけアメリカは、移民で成り立っている国なので(極少数の先住インディアンはいますが)、民族、人種の見本市のようにバラエティに富んだ肌の色や顔を見ることができます。
東京、大阪ほどの大都会なら日本人以外の人、外国人が沢山住んでいることでしょう。しかし、日本人に飲み込まれたかのように、ほとんど目立たず、一日街を歩いても数えるほどしか、外国人に会いません。
私のダンナさんの郷里、札幌では2週間の滞在中一人、二人しか見かけませんでした。そんな風に同一民族で、しかも文化、言語も世界では珍しいほど単一なので、お互いに通じる礼儀が自然身についてくるのでしょうか、人間同士の摩擦を滑らかにする潤滑油が雑多な民族の国アメリカと比べると、とても豊かなように思えるのです。
エゴのない人間はいませんが、西欧人は自分のエゴを表面に、直接的に表す傾向があり、彼らの強力なエゴはそのまま国家に持ち込まれ、その国が力を持てば持つほど、エゴの量も巨大になり、小国のエゴを踏み潰していくように思えます。個々の生活でもエゴを良い意味でも、悪い意味でもしっかりと主張しなければ、潰されてしまう社会なのです。言語、文化の異なる相手に分からせ、納得させるには、しっかりと明確に自己を主張しなければならず、そこに礼儀なぞ入り込む余地がないのでしょう。
今、アメリカは合法、違法合わせると2,000万人とも言われるメキシコ人がいると言われています。元々移民で成り立っている国ですから、沢山の移民を受け入れ、多くの矛盾を持ち、葛藤しながらも、国として成り立っていくのでしょう。それはアメリカの大きさ、懐の深さとも言えますが、一つの文化の消滅(アメリカに文化なんかないという人もいますが)につながっているように見えます。そこからまた新たにアメリカンヒスパニック文化が生まれていくことでしょうけど。
日本的なもののほんの一部だとは思いますが、日本人の洗練された人間関係は同一民族、文化、言語の社会だから保つことができる、とても壊れやすいもののように見受けられます。たとえばアメリカの半分くらいの移民、1,000万人くらいでも日本が受け入れたなら、私が心地よく感じる日本人の潤滑油は、干上がってしまうような気がするのです。
一旅行者として訪れ、接する日本と、実際に生活し、住む日本との間には大きな違いがあることは承知の上で、日本人の洗練された人間関係は美しいものとして心に残るのです。
私も退職したら、日本で暮らせたらどんなに素晴らしいことだろうと夢想しています。そうなると私も、日本的なものを壊しかねない移民の一人になりかねないのですが…。
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