■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:男日照り、女日照り
第2回:アメリカデブ事情
第3回:日系人の新年会
第4回:若い女性と成熟した女性
第5回:人気の日本アニメ
第6回:ビル・ゲイツと私の健康保険
第7回:再びアメリカデブ談議
第8回:あまりにアメリカ的な!
第9回:リメイクとコピー
第10回:現代学生気質(カタギ)
第11回:刺 青
第12回:春とホームレス その1
第13回:春とホームレス その2
第14回:不自由の国アメリカ
第15回:討論の授業
第16回:身分証明書
第17回:枯れない人種
第18回:アメリカの税金
第19回:初めての日本
第20回:初めての日本 その2
第21回:日本道中膝栗毛 その1
第22回:日本道中膝栗毛 その2
第23回:日本後遺症
第24回:たけくらべ
第25回:長生きと平均寿命
第26回:新学期とお酒
第27回:禁酒法とキャリー・ネイション
第28回:太さと貧しさ
第29回:外国生まれ
第30回:英語の将来 その1
第31回:英語の将来 その2
第32回:英語の将来 その3
第33回:英語の将来 その4
~誰がブロークンイングリッシュを話すのか

第34回:英語の将来 その
第35回:ベビーブーム
第36回:スポーツ音痴の相撲好き


■更新予定日:毎週木曜日

第37回:お相撲と外国人力士

更新日2007/11/22


古いものを無視し、壊し、新しいものの方に目が行くアメリカ人にとって、伝統を守ることの大切さと難しさは、理解を超えるものがあります。まして、今も引き継がれている生きた伝統となると、骨董品集めとは次元の違う難しさがあるだろう……と、想像するだけです。

しかし、これだけ大好きだったお相撲に、失望させられる事件が相次いで二つも起こってしまいました。もちろん私は門外漢ですし、深い内部事情に通じているわけでもありません。私が得るニュースはインターネットで覗くことができる記事、論説に限られています。ただのよそ者の愚痴として読み流してください。

一つは横綱・朝青龍が4ヵ月の謹慎、二場所も出場禁止になった事件です。

ことの起こりは、朝青龍が腰痛を理由に地方巡業と関連行事をサボり、母国のモンゴルでサッカーをしていたことがバレたことのようです。でも、フルタイムのサッカーの試合に出たわけではなく、日本の有名なサッカー選手(中田ヒデ)が来たのでお遊びでサッカーボールを蹴っただけで、むしろそのような軽いランニングや運動はかえって腰に良いのかもしれません。でもその写真を見、ニュースを知った相撲協会、マスコミの反応は全く違ったものでした。

突き詰めれば、日本人がよそ者から自分が非難されたり、軽く見られたときによく言うように“コケされた”ことに腹がたっただけのようです。理屈としては、朝青龍だけにこんな勝手なことを許しては、“シメシ”がつかないということになるのかもしれません。若乃花、貴乃花が土俵を去ってから低迷していた相撲を一人横綱として誰が支えてきたかを忘れ、4ヵ月の謹慎、二場所出場禁止という相撲協会の規定にない、前代未聞の厳罰を加えたのです。

私のような外の人間から見ると、相撲協会は専制独裁機関のように見えます。このもともと規定にない処罰に被告?側の控訴、上告の手段がないからです。朝青龍がドーピングをしたり、刑事事件を巻き起こしたわけではないのです。ドーピングや刑事事件ですら、訴えられた人の言い分を聞き、上告する権利は残されていますが、相撲協会の罰則には従うしか道はありません。これがとてもオカシク見えるのは、何も私が外国人だからではないでしょう。

古い話ですが、過去に相撲取りが集まり、相撲協会に対し反逆したことがあります。私のように教職についている人は、古いことを調べるのが得意なのです。

反逆という言葉は当たっていないかもしれません。改善を要求しただけと言ったほうが当たっているでしょう。1932年に起きた「春秋事件」として相撲の歴史に残る事件のことです。今から振り返ると、中華料理屋さん“春秋園”立て篭もり、造反した32人のお相撲さんの方の言い分がもっともな正論で、まことにつつましい要求しかしていないのです。

どうにか食べていくことができ、家族を持てるよう生活を安定させて欲しい、それにはまず協会の収支を公開し、茶屋制度を止め、相撲の大衆化のために入場料を下げ、年寄り株の持ち主だけに有利な現行制度を徐々になくしていって欲しいという、まことにおだやかな改革案で、当たり前のことを求めているだけなですが、権威化した相撲協会と利権化した年寄り株の持ち主は、これを“造反”と取ったのです。大日本関東国粋会という怪しげな右翼団体が調停に乗り出したりしましたが、結局、両者の交渉は決裂しました。

その時、相撲協会側に残った幕内力士は11人だけで、協会は粗製濫造の関取を造り対応しましたが、相撲界は長く低迷することになったのは言うまでもありません。

平成3年、小錦の全盛時代、大関で13勝2敗で優勝、次の場所は12勝3敗、さらに次の場所13勝2敗で優勝したにもかかわらず、横綱審議会が小錦を推挙さえしなかったことも、相撲界に深い傷とわだかまりを残しました。

今なら、当選確実で横綱になっていたことでしょう。もし、外国人の相撲取りがいっせいに“ヤーメタ”とばかりに抜けたら、大相撲はどうなるかと心配したわけではないでしょうけど、後味の悪い小錦の対処に協会自体が反省したのか、他に誰も居なかったという台所の事情があったのか、曙、武蔵丸というハワイ出身の横綱を生まれました。今では外国人だからといって番付けが不利になることはありませんが。

モノ造りではない生きた伝統は、それを継承する人とそれを見て楽しむ人との両者が支えていくものだと思います。どちらが欠けても、消えてなくなってしまう性格のものです。観客がゼロの状態では、歌舞伎や文楽はいつまでも続きません。それを継承し演じる側も常に新しい血を注入していかなければ、古い芸を繰り返すだけでは消滅してしまうことでしょう。

人気に媚びることなく、見る方の立場を生かすのはとても難しいことは分かっていますが、それにしても今回の朝青龍の問題で相撲協会が取った処置は、いち相撲ファンにとって全く納得できないものです。それが今、九州場所の不人気につながっていると見るのは私だけでしょうか。

 

 

第38回:お相撲スキャンダル