第5回:人気の日本アニメ
更新日2007/04/05
私の専門は言語学で、特定の言葉を得意にしているわけではありません。母国語はアメリカ英語で、住んでいるのはアメリカ中西部の田舎町ですから、アメリカ文化(田舎文化かな)にどっぷりと浸かって生活してます。
私が日本語をアヤツルことを生徒たちが知り、署名を集めたりまでして、昨年から日本語を教えなければならないことになりました。その日本語開講運動の中心になっていたのがアニメクラブの生徒たちでした。
日本のアニメが英語やスペイン語に翻訳され、世界中に広がっていたことは社会現象として知っていましたが、宮崎ハヤオの映画を2、3本見たことがあるだけで実際にアニメの本を開いたことはありませんでした。
日本の電車の中で、いい大人が漫画本を読んでいるのを見かけ、とても驚いたものです。アメリカでは、スーパーマンやスパイダーマンなどの漫画は12、13歳で卒業するものと思われ、まして大人が人前で堂々と漫画を広げて読むことなど考えられないことです。もっとも隠れて読んでいるのかもしれませんが…。
そして日本の大人が読んでいる(見ているかな)漫画の大半がセックスとバイオレンスモノなのにあきれると同時に、あんな漫画を読んでいる男性が一体家庭でどんな生活をしているのだろうかと想像すると、なにか背筋が寒くなってくるほどです。
日本の本屋さんでは漫画コーナーが勢力を増し、駅前の小さな本屋さんでは売場の半分は漫画に占領されているところは珍しくありません。アメリカでは本屋さんそのものが極めて少なく、大きなチェーン店の本屋さんが幅を利かせていますが、その売り場にまだアニメは侵入していないようです。
私の大学のアニメクラブのメンバーは30~40人くらいおり、部室に本やビデオ、DVDなどを集め、部員が貸し借りできるようにしていて、古いテレビも備え、皆集まってアニメ観賞会を週一回開いています。
英訳されたアニメが主ですが、日本語の原典?アニメもどこから手に入れたのかたくさんあり、そこで使われている凝縮された現代的な会話、とても日本語とは思えない何か別のアニメ語と呼んだ方が当たっているような言葉を訳すように頼まれたりすると、ただタジタジとなり、ウチのダンナに訊いてくると答えるより他ありません。
ところが、日本人であるはずのウチのダンナも、「そんな言葉は存在しない。日本語ではない」と取り付く島もないのです。そこで若い日本人留学生に訊いてみたところ、明快に答えてくれるではありませんか。ウチのダンナの日本語はかなり化石化した平安朝の頃のものではないかと疑いを持つようになってきました。
日本語講座は前代未聞と言っていいほどの盛況で、この小さな大学で60人以上も集まり、クラスを二つに分けなければならず、後から来た受講希望者を断らなければならないほどでした。
授業の最初の日、私はここで習う日本語はアニメ語とは無関係であること、アニメを読むために日本語習うのなら、場違いであることを高らかに宣言しました。
でも、日本語講座を開講させ、こんなにまで盛況にしてくれたのが三島由紀夫ではなくアニメであるという、コソバユイ感覚をぬぐい去ることができませんでした。
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