第30回:英語の将来 その1
更新日2007/09/27
アメリカの中学校、高校で、日本語を教えるところが増えてきました。
人気の秘密は今までのようなスペイン語、フランス語、ドイツ語の文法一辺倒や天文学的な数に及ぶ動詞の変化を覚えさせられる外国語教育から抜け出し、まず自分の興味のある文化が先行し、それが空手、柔道、合気道、禅、仏教やアニメであったにしろ、その文化を理解する手がかりとして日本語に入って行くところにあります。これは義務で取らなければならないから、スペイン語、フランス語をしょうがなく選択するというのとは大変な違いです。
アメリカの中・高学校で一番多い第二言語はスペイン語です。なにせすぐ隣にメキシコという大国があるし、北部のよほど辺鄙な田舎の学校でもない限り、必ず数人のメキシコ系アメリカ人が在校しており、スペイン語はアメリカ人にとって生活の中での結びつきが一番強い言語でしょう。その次にフランス語とドイツ語が並び、中国語が来て日本語が5番目人気の言葉になってきています。
日本からアメリカに来る留学生の語学のレベルも年々高くなっているように思います。ほとんどの日本人留学生は1年もすると、私がついていけないような、若者用のスラング、インターネット用語などを自然な形で会話の中に取り入れ、新人類の面目躍如たるところをみせてくれます。
レポートや小論文でも、アメリカ人の学生より間違いの少ない立派で自然な米語を書きます。長いセンテンスの古風なイギリス英語、たとえそれが文法的に正しくても一度読んだだけで意味がつかめない(きっと書いた本人も分かっていないことでしょうけど)ようなものを書く日本人にはしばらくお目にかかっていません。20年前には難しいイギリス英語を書く日本人が多かったのですが。
バーナード・ショーが書いた戯曲『ピグマリオン』(「マイ・フェア・レディー」というミミュージカルになった)の中で、言語学者のヒギンズ教授が、「アメリカ人は長年英語を話したことがない」と言っていますが、きっとヒギンズ教授は言葉は生き物のように、常に変わっていくものだということが分かっていなかったのでしょう。好き嫌いにかかわらず、アメリカ英語、すなわち米語がビジネス、インターネット・コミュニケーション、科学、ポップカルチャーの主体になっていることは否定できません。経済や政治の力がそうさせていることも事実です。日本語がアメリカだけでなく世界的に広がっているのも、日本が文化の豊かな国だということとは別に、経済的な力が大きく作用しているのでしょう。
どうもすぐに話が日本人、日本語の方に行ってしまいますが、ここでは英語のことに話を戻すと、現在、英語を生活の中で話す、いわば第一言語としている人は4億人います。それに加えて、第一言語ではないけれど英語を使いこなす人は3億5千万人から10億人(チョット開きがありすぎるようですが、英語を使いこなすという定義がはっきりしていないのでこんな大雑把な数字になったのでしょう)もいます。そして英語を国語としている国は80ヵ国あり、英語を共通言語として使っている国を合わせると106ヵ国にのぼります。
世界で一番話されている言葉は中国語ですが(なにせ人口が多いですから)、その次がスペイン語、そして英米語が続きます。でも広範囲にしかも政治的、経済的な影響力を持っている一番の言語は英米語でしょう。
このように世界中の全く違った環境、気候風土の中で一つの言語が使われているのですから、そのバリエーションがとても豊かなものになるのは自然のなりゆきといってよいでしょう。言語は各々が持つ生活背景から離れては存在しないのです。
と、ここまでが"超"長い前置きでした。来週から本題に入ります。
第31回:英語の将来 その2