第22回:日本道中膝栗毛 その2
更新日2007/08/02
どうしたことでしょう、今回の日本旅行グループに80歳のおばあさんが二人加わっていました。ロッキー山脈の東側の大学でフランス語を長いこと教え、遠の昔に退職したフランス系のアメリカ人でした。
私の生徒さんは六本木、原宿を徘徊し、飲み歩くのに忙しく、高校生グループは東京ディズニーランドや秋葉原へ通いつめているので、自然と私は、このおばあさんたちと歩き回ることになりました。どうも私はお年寄りに好かれる運命にあるようです。
まずはお決まりの浅草へ行きました。おばあさんたちの生き生きとした様子は、一緒に歩いていても周りの人たちみんなを明るく照らすかのようで、古着屋さんで、ガウン代わりに使うと言って、日本では二十歳過ぎたら袖を通すのも恥ずかしい、なんともハデハデな訪問着をとっかえひっかえ試着して、「どうお、私に似合うかしら?」と訊たりするのです。
見るもの、目に飛び込んでくるものすべてが新鮮な驚きなのでしょう、私の生徒さんたちが、これだけ新鮮な好奇心を保って日本旅行を続けてくれたら、どんなに実り多い旅になることか、と思わずにはいられません。
圧巻はデパートの地下の食品売り場でした。サンプルに出された例の試食品をつまみ、そのつど「ウララー」「トレヴィアン」とか言いながら、いかにもおいしそうに一回りしたのです。その頃には、彼女たちがすでに40年以上も住んでいる国の言葉、"英語"は忘れられ、交わす言葉はすっかりスランス語なっていました。もっとも食べ物に関してはフランス語は敵なしですが。
珍しい食べ物を賞味するたびに、こんなおいしいものを食べたことがないと絶賛し、そのつど、これは何でできているのか、どういう料理法なのか、私に通訳させるのです。"生まれて始めて食べた、最高においしいものが、次から次へと現れるのですから、彼女たちにとってお菓子の国に迷い込んだ子供のようなものでした。
そのデパートの地下にフランスのケーキ屋さんを見つけた時の、彼女たちの驚きと、喜びようったらありませんでした。フランス語で書かれたケーキ、お菓子の名前を一々大声で読み上げ(日本人のお客さん相手なのにどうしてフランス語で書くのかしら)、慎み深いその店の店員さんにフランス語で話しかけ、ケーキの名前のフランス語のレッスンを始めたのです。
日本で外人相手の旅行を企画するなら、若者はマクドナルドのランチ、中高年層はデパートの地下食品売り場のオプショナルツアーが絶対に受けることを保証します。
二人のおばあさんをやっとのことで地下から引き上げさせました。余りに興奮したのでしょう、どこかで少し休みたいと言うので、大きなガラス張りのしゃれた喫茶店に連れて行きました。そこのコーヒーはアメリカよりズーッとおいしいけど、フランスのエクスプレッソには及ばないとの採点でした。そこまでは良かったのですが、会計の時に一騒動持ちあがったのです。
両替の混乱から、500円を凡そ50セントと勘違いしていたのです。アメリカでスタイロフォームのカップに入れて出されるコーヒーは大体50セントから80セントくらいですから、日本でも、世界中どこでもそんなものだと思い込んでいたのでしょう。「アラ、割に安かったのね」と言って50円硬貨を置いたのです。50円ではなく10倍の500円だと分かった時の彼女たちの顔を見せたものです。口をあんぐりと開け、こんなメチャクチャな話し聞いたことがないと言った表情なのです。
私は、日本の喫茶店は、場所に支払うようなもので、500円は決して、外人だからといってボッているわけでもないし、この場所でこの値段はゴク普通であることを説得しなければなりませんでした。殺し文句は、「散々、デパートの地下でただで食べたのだから、最後にコーヒー一杯くらいこのデパートに儲けさせてあげてもいいんじゃない?」でした。結局のところ、私が払ったように記憶しています。
アメリカのおばあさんたち(フランス系ですが)は、さっきの日本のコーヒーの味の評価も変え、苦いだけで風味がないなどと言い出す始末でした。どうも彼女たちの舌は、密接に懐とつながっているようです。
第23回:日本後遺症