第46回:古い人間のやり方
更新日2008/02/07
古い人間とお思いでしょうが……と昔、鶴田浩二さんが流行り言葉を作ったのを覚えていますか。そんな言葉を覚えている世代なら、あなたは確実に古い人間です。と言うことは私自身も、絶対的に古い人間なのですが。
今学期を最後に二人の先生が学校を去りました。ニ人とも英語の先生で、エスター先生は児童文学専門、もう一人のシャロン先生は英語(国語というべきなのかな)の専門でした。お二人とも60歳を遠の昔に越しています。定年退職し、やっと待ち焦がれた年金生活に入ります。
このニ人の先生に共通していることは、いつも一番遅くまで自分の研究室で働いていることです。秋になり陽が早く暮れ、6時か7時で外は暗くなりますが、エスター先生とシャロン先生の部屋だけはいつも明かりがついているのです。それを見ている私も遅くまで学校にいる部類ですが、私が帰る前に彼女たちの部屋の明かりが消えていることはまずありませんでした。
彼女たちは実に丁寧に生徒のレポート、作文に目を通し、一々赤ペンで添削し、どこをどうするともっと良くなるとか、文体を統一するためのヒントとか、まるで私信のようにコメントを書き入れているのです。
英語(国語ですが)でモノを書く訓練は、優れた文章を沢山読むことと、その中から自分に合った文体、または好きな文体をまねてみること、自分の書くテーマに合った文章の書き方を、ともかく沢山書いて掴んでいくしかありません。生徒さんにとってはとても大変なことですが、与えられたテーマでどんどん数を書きこなして初めて、自分のスタイルで、しかも相手に的確に意味の伝わる書き方を習得できるのです。ともかく沢山書くことが第一歩なのです。
それを読み、添削する先生の方はもっと大変です。小さなシャロン先生が首までの高さのレポートファイルを抱えて歩いているのを何度見たことでしょう。エスター先生の机の上にも、いつも生徒さんの作品がうず高く積まれています。それを全部読み通すだけでなく、赤を入れ、論評を加えるのは気の遠くなるような仕事です。
しかし、きちんとした文章を書けるようになるには、そんな厳しいトレーニング、生徒と先生の往復が何度も何度もあってこそ可能なことです。便利で簡単なやり方はありません。エスター先生とシャロン先生は、学会で偉い論文を発表するタイプの学者ではありませんが、真剣に学ぼうとする生徒さんにどれだけ力になってきたか計り知れません。
若い先生たちは、年に1、2度学会で論文を発表したり、本を出版したり、それなりに勉強もしているようですが(自分の名前も、それについてまわる大学の名前も上がりますが)、教えることに情熱を持っていないように見受けられます。レポートや作品などは読むのが大変な作業になるので、極力少なくし、テストも採点が簡単なような問題を作ったりして、できるだけ自分の仕事を少なくしようとする傾向があります。もちろん、浮いた時間を自分の研究に費やしているのでしょうけど。
生徒さんがきちんとした英語が書けるようになるには、昔から続けられてきたように、古いやり方で訓練を重ねることだけが王道なのです。
ところが、生徒さんの90パーセントは返されたレポートや作品の点数だけしか見ず、先生が赤を入れた箇所、コメントを読まない…という統計を読み、心底ガックリきました。そのことをエスター先生、シャロン先生と話題にしたとき、彼女らはそれでもいい、10パーセントの生徒が本気で取り組んでいるのなら、それで良い、と言ったのです。私にはお二人が聖人に見えたことです。
古いタイプのお二人が大学から抜け、本当に残念です。
エスター先生、ショロン先生、どうも長い間ご苦労様でした。
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