第29回:外国生まれ
更新日2007/09/20
今日、9月17日付けでアメリカの司法長官、アルベルト・ゴンザレスが辞任しました。
司法長官といえば、ケネディ大統領のとき、弟のロバートが辣腕を振るったことで知られる、国務長官に次ぐ大切な地位です。そのような高い地位にメキシコ系二世のゴンザレス氏が付いたとき、ちょっとしたセンセーションを巻き起こしました。おりしもメキシコの不法労働者を規制しようとしていた矢先でしたし、貧しい移民の子が果たして米国政府側の法的な立場をまっとうできるか疑問視されたのです。
ゴンザレス氏の辞任、更迭の顛末やブッシュ大統領とのつながりは、ここではさておき、彼の生い立ちを述べることにします。
彼の両親、パブロとマリアはメキシコからの移民で、アルベルトはテキサス州のサンアントニオで1955年に生まれました。兄弟が8人おり、寝室が二つしかない家に家族10人で住んでいたと言います。
家での第一の言葉はもちろんスペイン語でした。パブロとマリアは大変な働き者でした。その血を受けたのでしょう、アルベルトもごく若いときからとても勤勉で空軍学校(空軍大学といった方が当たっているかもしれません。学費がタダといううのが魅力だったようですが)に入学、その後ライス大学、エリート集団のハーバード法律大学院を1982年に卒業していますから、きっとずば抜けた頭脳の持ち主のうえ大変な努力家だったのでしょう。
テキサス州に帰り、州知事だったブッシュ大統領と懇意になり、数々の役歴をこなし、司法長官まで駆け上ったわけです。
アルベルト・ゴンザレス長官は辞任の挨拶で、「私の人生の最悪の日でさえ、私の両親の最良の日よりも、はるかに楽だ」とメキシコからの移民としての生活の厳しさを覗かせていました。
このような話を始めたのは、外国人二世でもアメリカではこのような地位に登ることができるということを示したかったからです。彼はメキシコ系としては初めて司法長官になりましたが、アメリカの政府には他の国ではチョットあり得ないほど数多くの一世、二世が活躍していましたし、いまも沢山います。
有名なところでは、ヘンリー・キッシンジャーはイスラエル生まれ、コリン・パウエルはドミニカ共和国からの移民の二世、アールブライト女史はチェコ生まれ、シュワルツネッガー知事はオーストリア生まれです。日系二世、三世の議員も沢山います。
努力さえすれば、アメリカでは誰でも大統領になれる……子供のときからとリンカーンを例にとり、よく教えられます。大統領になれるのはアメリカで生まれた者に限るというが法的条件として残っているので、シュワルツネッガー知事は大統領になれませんが、二世のゴンザレス、パウエルは大統領になれるのです。それにしても一世、二世の多さには驚いてしまいます。
保守大国と言われ、とにかくよそ者を嫌う傾向のあるフランスで、今度大統領になったニコラ・サルコジ氏はハンガリーからの移民の子ですし、ヨーロッパにも民族移動の波が押し寄せているようです。
さて、日本ですが、在日朝鮮人や韓国人がたとえ彼らが日本で生まれ日本国籍を持っていたとしても、大臣や首相になることはとても難しいのではないかしら。戦後60年間に一体何人の韓国系大臣がいたか知りたいものです。第一、公務員になるのすら難しいと聞いたことがあります。そのような閉鎖性は、日本人自らの首を絞めているようなものなのですが。
アメリカでの日系人の活躍を誇りに思っている日本人は多いことでしょう。ですが、日本国内で外国人一世、二世が活躍していることを誇れるようになったらもっとよいことでしょう。
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