■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:男日照り、女日照り
第2回:アメリカデブ事情
第3回:日系人の新年会
第4回:若い女性と成熟した女性
第5回:人気の日本アニメ
第6回:ビル・ゲイツと私の健康保険
第7回:再びアメリカデブ談議
第8回:あまりにアメリカ的な!
第9回:リメイクとコピー
第10回:現代学生気質(カタギ)
第11回:刺 青
第12回:春とホームレス その1
第13回:春とホームレス その2
第14回:不自由の国アメリカ
第15回:討論の授業
第16回:身分証明書
第17回:枯れない人種
第18回:アメリカの税金
第19回:初めての日本
第20回:初めての日本 その2
第21回:日本道中膝栗毛 その1
第22回:日本道中膝栗毛 その2
第23回:日本後遺症


■更新予定日:毎週木曜日

第24回:たけくらべ

更新日2007/08/16


私の身長は160センチです。アメリカの同世代の女性としては平均より僅かに低いくらいです。日本に行っても背高かノッポではありません。

小学校、中学校、高校を通して私はいつもチビの部類でした。幸い私の通った学校では、ただミテクレのために生徒を背の低い方から高い方へと整列させるようなことはしませんでしたから、自分が何番目のチビであるかは分からずじまいでしたし、背の高低でコンプレックスを持つようなことはありませんでした。

だけど、弟は190センチ以上だし、二人の妹も私より背が高く、なんと母も私より数センチ高いのです。思い起こすまでもなく、長女である私が、家族のなかで一番背が低いのです。戦後、食料事情が変わり、ダーウィン的進化論にも後押しされた今日の若者の成長ぶりを横目に、自分の親より背が低いというのは、なんとも自分が退化しているような気にさせられます。

日本に行き、とりわけ満員の電車に乗ると、私の目線を遮るほど背の高い人は一車両に何人もいないので 自分が急に小人の国に行ったガリバーのような気分に(チョット大げさかな)なります。日本人の身長も平均するとグングン伸びているようで、疲れ切った定年間近の世代と若者との間にははっきりと身長差が見て取れます。

アメリカ人の平均身長は1910年以降70年間に白人男子で、6センチ、黒人は8センチも伸びています。長年アメリカはデブ大国であり、かつノッポ大国で世界一を保ってきましたが、最近、アメリカ的ファーストフードの侵略のせいか、共産という肩の荷を降ろしたせいか、ロシアが世界一のノッポ国になりました。1980年生まれのロシア人男性の平均身長はなんと183センチだというのです。平均がこれだけあるのですから、街行く人々はまさに大男オンパレードでしょうね。小柄で太ったイタリア人マフィアは大男揃いのロシア人に押されっぱなしで、今、暗黒街はイタリア人に取って代わり頑丈なロシア人が牛耳っていると言います。これは体格には関係ないかもしれませんが。

1980年生まれのフィリピン人男子の平均が162センチですから、なんとロシア人の間に21センチもの差があることになります。

私がこんな身長談を書いているのを、覗き込んだウチのダンナは、「頭を乗せる土台の高さなどは、取るに足らないことだ。問題はその土台にどんな頭、頭脳が乗っているかだ」と、当たり前のことを勿体をつけて言っています。そして、「小村寿太郎も高田屋嘉平も(この人たちは誰でしょうか?)150センチあるかないかのチビだったが、優れた国際人だった」と、ゴタクを並べています。

私は単に、世界で身長がどんどん伸びていることを言いたかっただけなのです。

ダビデの立派な肉体は大理石の彫刻になりますが、きっと"コムラさん"や"タカダヤさん"の裸の立像は頂けないことでしょう(ごめんなさい、でも裸像でなく胸像なら立派なものができるかもしれませんね)。

頭脳、人格が大切なのは当たり前ですが、外見を重んじる思想がギリシャ、ローマの芸術の基本になっていると思うのです。…と私も理屈っぽくなってきてしまいました。

 

 

第25回:長生きと平均寿命