第345回:流行り歌に寄せて No.150「涙くんさよなら」~昭和41年(1966年)
ハマクラ先生の曲が続きます。
私が物心がついてから、はじめて心に沁みた曲だったと思う。
父親が愛知県の名古屋市に転勤が決まり、昭和41年の秋、一足先に単身赴任を始めた。後に残った母と妹と私も、父を追って翌年の年明け早々長野県の岡谷市から、彼の地へ引っ越すことになったのである。小学1年生の3学期に転校して来て以来、4年間過ごした大好きな小学校の仲間たちだった。
保育園時代と小学校1年生の2学期間、楽しかった幼少期を過ごしていたところを、可愛がってくださった近所の方々と別れ、上諏訪から岡谷に転校して来たときも、本当に辛かった。それなのに、せっかく良い友達ばかりできたのに、また転校だという。今度は一度も行ったことのない名古屋という、東京、大阪に次いで日本で3番目に大きな都会に移らなければならないのだ。父親の仕事を恨むことはなかったが、どうしてまたこんな思いをしなくてはならないのかが理解できなかった。
みんな寄せ書きをしてくれたり、小さなプレゼントをくれたり、精一杯私を見送ってくれた。ただただ寂しかった。もう人と仲良くするのは止めようと、心に誓った。
転校してしばらくして、35人のクラス全員から最初は手紙、そして少し間隔を置いて、習いたてのローマ字で書かれたハガキがそれぞれ届いた。私は2回とも、一人ひとりに返事を書いた。夢中になって書いた。
「涙くんさよなら」 浜口庫之助:作詞・作曲
1.
涙くんさよなら さよなら涙くん
また逢う日まで
君は僕の友達だ
この世は悲しいことだらけ
君なしではとても
生きていけそうもない
だけど僕は恋をした
すばらしい恋なんだ
だからしばらくは君と
遭わずに暮らせるだろう
涙くんさよなら さよなら涙くん
また逢う日まで
2.
涙くんさよなら さよなら涙くん
また逢う日まで
君は僕の友達だ
この世は悲しいことだらけ
君なしではとても
生きていけそうもない
だけど僕のあの娘はね
とってもやさしい人なんだ
だからしばらくは君と
遭わずに暮らせるだろう
涙くんさよなら さよなら涙くん
また逢う日まで
転校が決まったあたりから、この曲がずっと流れていた。坂本九盤はあまり記憶にないが、ジョニー・ティロットソン盤と、和田弘とマヒナスターズ盤はよく聴いていた気がする。
(上の歌詞欄に歌手と編曲者が記していないのは、私がこの曲を当時誰の歌だと限定できなかったからで、実際はそれぞれの盤は前年の昭和40年に出されたものであるらしい)
最初は外国で作られた曲を日本語で歌っているのかと勘違いしたのだが、ジョニー・ティロットソンのたどたどしい日本語が、不思議に僕の心に一番響いていた。歌詞の真意とは異なり「涙くんさよなら さよなら涙くん」と、必死に涙から離れたい思いで、この曲を聴いていたように思う。
これから友だちと離れなければならないという、いわゆる喪失予感と呼ぶようなものが私を毎日苛んだ。実際に涙を流すことはなかったが、心の中では、情けないほどしくしく泣いていた。私は、自分の息子が成人するまでは、彼が生まれ育ったところから転勤などで離したくなかったのは、あの時の思いをどうしてもさせたくなかったからである。
個人的なことを書き過ぎたようだ。この曲の素晴らしさは、すべてがシンプルであることにあると思う。歌詞も1番と2番とでは、「だけど僕は恋をした すばらしい恋なんだ」と「だけど僕のあの娘はね とってもやさしい人なんだ」の箇所のみが違っていて、あとは繰り返しである。
ハマクラ先生の魅力は、そのシンプルな歌詞とメロディが、こちらにしっかりと伝わってきて、じんわりと心に沁み渡ってくるところにある。どの曲を聴いても、そうだと思う。これからどれだけハマクラ先生の曲をご紹介できるか、このコラムを書き続けていく上で、心の支えになっていることである。
-…つづく
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