第321回:流行り歌に寄せて No.126 「下町育ち」~昭和40年(1965年)
私の母に限らず、多くの家庭の主婦たちは、あの当時昼のメロドラマというものを、実によく観ていたと思う。ずっとテレビをつけっ放しにしている家庭もあったが、我が家は観たい番組以外はスイッチを切る習慣があった。だから、母は家事の合間に1本だけ、自分の好きなドラマを熱心に観ていた。
今回ご紹介する『下町育ち』は、メロドラマの主題歌として発表されたものだった。フジテレビ系列の月曜日から金曜日の、午後13時から13時30分にかけて放映された『ライオン奥様劇場』、あの野生のライオンが吼える映像から始まるシリーズの中の1作だった。
昭和40年の4月5日から5月7日にかけて放映された、東京は深川の花街を舞台にしたドラマ『芸者っ子』。この主題歌が『女の舞台』で、笹みどりの記念すべき初吹き込みレコードだった。ドラマの端役で笹本人も出演したこともあり、この曲はそれなりに話題になったが、ヒットになるまでには至らなかった。
そのドラマの続編として作られ、同年の10月4日から11月19日の間人気を博したドラマが『続芸者っ子・下町育ち』であり、主題歌はそのままのタイトル『下町育ち』だった。これが100万枚を超える大ヒットとなり、この曲で翌年のNHK紅白歌合戦の出場も果たした。
笹はこの後も『男の償い』『女の波紋』『母子舞』『異母姉妹』『花はゆるがず』などの『ライオン奥様劇場』の主題歌をずっと歌い続け「テレビ主題歌の女王」と呼ばれるようになった。
ところで、もともとテレビジョンの本家アメリカ合衆国では、昼の時間帯の主婦向けドラマを先駆けて作っており、そのスポンサーが主婦層にターゲットを絞った石鹸メーカーが多いことから、それらの番組を“soap
opera”(ソープ・オペラ)と呼んでいるらしい。
日本もこの時間帯は同様で、前出のライオンをはじめ、花王石鹸、牛乳石鹸がスポンサーになるものが多く、本家を倣った形になっているのが面白い。
「下町育ち」 良池まもる:作詞 叶弦大:作曲 笹みどり:歌
1.
三味と踊りは 習いもするが
習わなくても 女は泣ける
つらい運命(さだめ)の 花街育ち
義理がからんだ 花ばかり
2.
母と呼べずに わが子と抱けず
嘘とまことで とく紅かなし
金が物言う 浮世と知れど
金じゃとらない 左褄(ひだりづま)
3.
忘れなければ いけない人と
知ったあの夜は 袂がぬれる
強く生きるの 女の街で
秘めてかざした 舞扇
作詞家の良家まもるは、あの高名な脚本家、作詞家の関沢新一のペンネームである。私たちの大好きな特撮映画『キングコング対ゴジラ』や『モスラ』やテレビ『ウルトラマン』の脚本家としてあまりにも有名な人だ。
作詞の世界でも、美空ひばりの『柔』、村田英雄の『夫婦春秋』、都はるみの『涙の連絡船』など、素晴らしい仕事を残している。そんな中で、今回の花街を描いた作品は珍しいが、艶のある言葉に圧倒される。ちなみに『左褄』とは、左手で着物の褄を持って歩くことからとられた芸者の異名とのことである。
作曲家の叶弦大は、現在「日本作曲家協会」の会長の任にある人である。初代の古賀政男から、服部良一、吉田正、船村徹、遠藤実、服部克久と大御所が続く重職に、平成25年から就任している。石橋正次の『夜明けの停車場』、小林旭の『昔の名前で出ています』などの秀作を残している。
ところで、この曲を初めて聞いた小学4年生だった私は「三味と踊りは習いもするが 習わなくても女は泣ける」の歌詞をいち早く覚え、何回も口ずさんでいた覚えがある。もちろん大っぴらにそんなことをすれば母親に叱られてしまうので、子ども部屋でこっそり歌うわけである。
何か子どもなりに感じるところがあったのか、しみじみした思いでいたのだった。ただ、その後の詞については、きれいな花がある街に育ちながら何がつらいのかがどうしても理解できず、この人は花が嫌いなのではないかと想像するぐらいの幼さではあった。
-…つづく
第322回:流行り歌に寄せて
No.127 「高原のお嬢さん」~昭和40年(1965年)
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