第325回:流行り歌に寄せて No.130 「唐獅子牡丹」~昭和40年(1965年)
以前にも何回か書いているが、私は昭和から平成に元号が変わる頃から8年ほど、断続的にいくつかの原子力発電所で放射線管理業務に携わっていたことがある。サイトに滞在していたのは、この間全部合わせてで4ヵ月ほどになったと思う。
作業場である原子炉建屋に入る際は、それこそパンツ一枚を残して、下着からすべて防護服に着替えるわけである。それぞれの持ち場は違っても、同時に何十人もの作業員が一箇所で同時に着替えるのだが、その場で背中に彫物をしている方々を、かなりの数見た記憶がある。
彼らは、今の私とほとんど変わらぬ50歳代から60歳代の人々が大半を占めていた。だから、40歳代前半までの勢いのある肌とは違い、施された例えば般若の面の彫物も、何か縮こまっていて、まるで泣いているような表情を見せていた。但し、狭い場所ゆえに身体をぶつけてしまった時、一瞬見せる彼らの睨みが効いた表情には、こちらを竦ませるには充分な力があった。
「唐獅子牡丹」水木一狼 ・矢野亮:作詞 水木一狼:作曲 高倉健:歌
1.
義理と人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい 男の世界
幼なじみの 観音様にゃ
俺の心は お見通し
背中で吠えてる 唐獅子牡丹
2.
親の意見を 承知ですねて
曲がりくねった 六区の風よ
つもり重ねた 不幸のかずを
なんと詫びよか おふくろに
背中で泣いてる 唐獅子牡丹
3.
おぼろ月でも 墨田の水に
昔ながらの 濁らぬ光
やがて夜明けの 来るそれまでは
意地でささえる 夢ひとつ
背中で呼んでる 唐獅子牡丹
『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズと並ぶ高倉健主演の代表シリーズもの『昭和残侠伝』の主題歌として発表されたものだが、実際に映画の中で歌われている歌詞とは、浅草を舞台にしているところは同じものの、大きく違っているようである。
元々は東映の大部屋俳優である水木一狼が即興で歌ったものが原曲であるとのこと。それを映画の中で高倉健が唐獅子牡丹の彫物で立ち回ったことにより大きなヒットにつながった。
あの頃の映画館での健さんの人気は絶大で、堪忍に堪忍を重ねた挙句、ついにその緒が切れて、ここで言えば池部良とともに敵地に斬り込んでいくときには大きな拍手が沸く。映画の中で、敵が後方から斬りつけてくるところを、映画館の観客が思わず「健さん! 後ろだ!!」と叫んでしまったというのはあまりにも有名なエピソードである。
大変失礼ながら、高倉健という人はあまり歌が上手とは言えない。同じく東映の任侠もの『緋牡丹博徒』シリーズのお竜役の藤純子も、何か二日酔いの女子高生が風呂場で歌っているような声(村上春樹が、録音の悪いチェット・ベイカーのレコードを評した際の言葉を借用)で、お世辞にも良い声とは言えないようにである。
それでも観客(緋牡丹お竜を観にきた観客も同様)は、健さんの歌声が聞こえてくると、身体中からアドレナリンがどんどん分泌されてきて、最高の気分になっていくのである。
ところで、先ほど水木一狼を東映の大部屋俳優と書いたが、この人は作詞作曲の才にもたいへん恵まれた人だった。今回の『唐獅子牡丹』の他にも『関東仁義』『河内仁義』『残侠吉良常』などの、いわゆる侠客ものの作詞作曲を多く手掛け、何人もの歌手に提供し、また自らも吹き込むセルフカヴァーも行なっている。
不勉強なことに、私はこの人の存在を今回まで知らなかった。眉毛の太い、いかにも時代劇のどちらかと言えば悪役が似合いそうな風貌の人である。調べたところ『網走番外地 望郷編』に小林稔侍などとともに脇役で出演していた。
もう一人の作詞者である水木亮、こちらは歌謡界の大御所で、小畑実の『星影の小径』、三橋美智也の『リンゴ村から』、そして若山一郎の『おーい中村君』などの名曲の歌詞を提供している。何か大きくイメージの違う矢野と水木が、共同のクレジットで健さんの歌を作り、大きなヒットとなる。やはり歌謡界とは不思議な世界である。
-…つづく
第326回:流行り歌に寄せて No.131 「涙の連絡船」~昭和40年(1965年)
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