第306回:流行り歌に寄せて No.111 「夜明けのうた」~昭和39年(1964年)
やわらかく、ゆったりとした声と音楽。今まで聴いたことのない、何か大きなものに守られて落ち着き、ずっと安心していて良いような、そんな曲だと感じた。アルトを聴かせる女性歌手というのが少なかったのかもわからない。とにかく、私にとって岸洋子の発する声は、たいへん気持ちの良い音色だった。
ストレートでセミ・ショートの髪が似合っていた。マイクに向かってスクッと姿勢良く立ち、堂々と歌い上げる姿は、東京藝術大学大学院の声楽専攻科の出身で、本来はオペラ歌手を目指していたことが頷ける。
心臓の病でオペラ歌手になるのを諦め、エディット・ピアフの歌を聴いてシャンソン歌手になろうと心を決めたという。シャンソン、そしてカンツォーネも、その歌心を聴く者の心にじんわりと伝えることができる、日本では稀有な存在であった。
chanson、canzone、いずれもその言葉は純粋に「歌」を表すと言う。岸洋子という人は「歌」以外の余計なものは、一切私たちに提示しなかった人だったと思う。
「夜明けのうた」 岩谷時子:作詞 いずみたく:作曲 岸洋子:歌
1.
夜明けのうたよ
あたしの心の きのうの悲しみ
流しておくれ
夜明けのうたよ
あたしの心に 若い力を
満たしておくれ
2.
夜明けのうたよ
あたしの心の あふれる想いを
判っておくれ
夜明けのうたよ
あたしの心に おおきな望みを
抱かせておくれ
3.
夜明けのうたよ
あたしの心の 小さな倖せ
守っておくれ
夜明けのうたよ
あたしの心に 思い出させる
ふるさとの空
『夜明けのうた』は、もともと岸洋子が歌う前の年の昭和38年、日本テレビ系の連続ドラマ『ぼうや』の主題歌として主演の坂本九が歌っていたもの。このドラマは倉本聰らが脚本を書いた青春ドラマで、主人公は大音楽家を夢見るバンドマンの若者という設定だった。
坂本版と岸版の違いは、一人称が「あたし」ではなく「僕」であることと、2番の歌詞の最後の部分「おおきな夢を抱かせておくれ」が「でっかい夢を抱かしておくれ」となっている点、そしてタイトルが「夜明けの唄」であることだけである。
それでも坂本九が、同世代の若者たちと想いを共有する歌だったのものが、岸洋子が歌うと、味わい深い恋の歌に変容するのである。不思議なものである。
この曲は、昭和39年第6回日本レコード大賞の、作詞賞と歌唱賞を獲得し、岸は同年の『第15回NHK紅白歌合戦』で紅白初出場を果たした。また翌年、同タイトルで浅丘ルリ子主演で日活で映画化され、岸は劇中で主題歌を歌っている。
今回改めて、シャンソン、カンツォーネを含めて岸洋子の曲を20曲ほど聴いてみたが、彼女の歌の素晴らしさに、いったいどうして今日まであまり聴いてこなかったのだろうかと反省している次第である。
子どもの頃に聴いて心を奪われたあの美しいアルトを、半世紀の時を経て還暦を過ぎてからじっくりと聴き直してみるのも悪くないだろう。まずは、シャンソンとカンツォーネ、それぞれのベスト・アルバムあたりから。
-…つづく
第307回:流行り歌に寄せて
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