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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第318回:流行り歌に寄せて No.123 「新聞少年」~昭和40年(1965年)

更新日2016/12/22

第61回「僕のあだ名を知ってるかい?」の頃をはじめ、もう何回かこのコラムにも書いているが、私は上京した昭和49年の初冬に2ヵ月ほど、朝日新聞井荻専売所で新聞配達のアルバイトをしたことがある。

その時の配達員の大半は、私を含め20歳になったかどうかの言わば「少年」の年齢ではあったが、最年少は小学4年生の男の子で、まさに「新聞少年」と呼ばれるのに相応しい子だった。

私たちは、最近はあまり見かけない実用車という自転車に乗って配達していたが、彼はまさに今回の山田太郎の『新聞少年』のレコード・ジャケットのような肩掛けヒモに新聞を結わえて、走りながら配達していたのだった。

小学4年生の割には小柄だったが、すばしっこく駆け回り、60紙から70紙(私たち自転車組は約300紙程度)の配達を捌いていた。受験浪人生でボーッとバイトをしている私などよりはるかに生活力が旺盛で、逞しかった。


「新聞少年」  八反ふじを:作詞  島津伸男:作曲  山田太郎:歌

1.
僕のアダナを 知ってるかい

朝刊太郎と 云うんだぜ

新聞配って もう三月

雨や嵐にゃ 慣れたけど

やっぱり夜明けは 眠たいなア

2.
今朝も出がけに 母さんが

苦労をかけると 泣いたっけ

病気でやつれた 横顔を

思い出すたび この胸に

小ちゃな闘志を 燃やすんだ

3.
たとえ父さん いなくても

ひがみはしないさ 負けないさ

新聞配達 つらいけど

きっといつかは この腕で

つかんでみせるよ でかい夢


山田太郎は本名を西川賢と言い、有名な興行主、西川幸男の長男である。西川幸男は『西川興業社』で村田英雄を育て上げ、その後、発展改組した『新栄プロダクション』では北島三郎や藤圭子のマネージメントも行なっていた芸能界の重鎮だった。現在、新栄プロは山田太郎が継いでいる。

山田は昭和38年に『清らかな青春』でデビューし、昭和40年『新聞少年』の大ヒットで、この年の第16回NHK紅白歌合戦出場を果たしている。私はこの時の紅白のことは覚えていて、確か会場にかなりの数のいわゆる新聞少年が招待され、司会者によって紹介されていた。画面に映し出された彼らは、何か気恥ずかしそうな表情を浮かべていた。

山田太郎の次の印象はテレビドラマの『彦左と一心太助』での演技である。進藤英太郎演じる大久保彦左衛門に、威勢のいい魚屋一心太助と温厚な徳川家光の一人二役を演じた山田太郎のコンビだった。『新聞少年』から4年後の昭和44年、TBSテレビのブラザー劇場だったが、私は大好きで家族全員で観ていた。

さて作詞家の八反ふじをは、いくつかの仕事を経験し苦労しながら作詞家にたどり着いた人だった。石本美由紀の門下生となり、最初は白根一男、そして松山恵子、北島三郎、瀬川瑛子、鳥羽一郎らに多くの詞を提供している。

一方、作曲家の島津伸男は船村徹の門下生である。作詞家の星野哲郎とのコンビで北島三郎歌唱の『函館の女』はじめ尾道、博多など何作も続いた『女(ひと)』 シリーズはあまりにも有名である。

新聞配達時代の話に戻るが、私が配達していた当時は毎朝牛乳配達の自転車とも何回かすれ違ったものだった。今はスーパーの店頭に並ぶのがほとんどで、宅配も車によるものを見かけるだけだが、当時牛乳は自転車による配達が主流だった。

台風のような風雨ともに強い日は別にして、一般的には雨の日は新聞配達が、風の日は牛乳配達の方が往生したのを覚えている。牛乳は多少の濡れは問題ないが、新聞は濡れては命取り。反対に風で飛び散った新聞は拾い上げれば何とかなるが、重い牛乳の方は強い風に煽られて転倒すると、瓶を割ってしまう恐れがあったからである。

その「同士」である牛乳配達のことを歌った歌も、山田太郎は『新聞少年』から1年半ほど経った昭和42年に出している。作詞作曲も前作と同じメンバー、あまりヒットしなかったらしいが、黙々と牛乳配達していた少年たちには日の目を見た思いがしたことだろう。下に記してみたい。


「牛乳少年」  八反ふじを:作詞  島津伸男:作曲  山田太郎:歌

1.
雲が流れる 夜明けの街を

駈けてゆくんだ 思いきり

お待遠さん ハイ牛乳

運ぶ香りも 新鮮な

僕は少年 配達員

2.
角のポストも 横丁の犬も

みんな仲良し 顔なじみ

お待遠さん ハイ牛乳

病気あがりの お嬢さん

早く元気に なっとくれ

3. 
力一杯 ペダルをふめば

足も軽いよ 気も軽い

お待遠さん ハイ牛乳

白い花咲く 並木道

ひとつ歌でも 歌おうか

4.
夢をもとうよ 明るい夢を

どんな苦しい 時だって

お待遠さん ハイ牛乳

配り終って 仰ぐ空


あの頃の「勤労少年」たち、思い描いていた夢を実現できた人はどれほどいたのだろうかと、少し感傷的になって思いを馳せている年の瀬である。

-…つづく

 

 

第319回:流行り歌に寄せて No.124 「二人の世界」 昭和40年(1965年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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