第329回:流行り歌に寄せて No.134 「逢いたくて逢いたくて」~昭和41年(1966年)
現在放映中のNHK連続テレビ小説『ひよっこ』の時代設定が、ちょうど私が今書いている昭和40年から41年の時期に重なっていて、少しうれしい気がしている。岡田惠和氏のきめ細かく書き込まれたシナリオにはいつも敬服しており、その万分の一ほどの才あればと思いさせられる日々ではあるけれども。あの頃の「みね子」たちの耳にはこんな音楽が聴こえていたのかと思い描きながら、書き進めていくのは楽しいことである。
私がカラオケに行ったとき、時々この「逢いたくて逢いたくて」を歌う。女性の歌ではあるが、男声の低音でもけっして違和感のある曲ではないと思う。もちろん大好きで歌いたいということもあるが、カラオケの画像に出てくる園まりがあまりに可愛いので、まさに彼女に「逢いたくて」リクエストしているという方が正しいかもわからない。そして、それは少なからぬ羞恥の念を抱きながらの行為である。
この曲が発売になった昭和41年1月、私はちょうど10歳になった。東京から転校してきたチャーミングな女の子に、クラスのほとんどの男子が夢中になり、田舎の小さな小学校にとっては、まさにセンセーショナルな事件でさえあった。もちろん私も例に漏れず、彼女に想いを寄せていた。
異性に対する憧れが、自分ではコントロールできないほど膨らんでいたあの時期、園まりがこの歌を歌い出した。当時は無論そんなことだとは考えなかったが、あの声が、あの歌い方がとても私の性の世界を目覚めさせてくれたのだと、今では確信している。
あまりにも刺激が強く、いつまでも胸にドキドキ感が残る。そして、何かとてもやるせない想いがする。そんな触れたくても触れられない、大人のお姉さんが私の中に到来してしまった。小学校の女の子たちが、東京からの転校生も含め、ある時期まったく色褪せてしまったのである。
「逢いたくて逢いたくて」 岩谷時子:作詞 宮川泰:作曲 園まり:歌
1.
愛した人は あなただけ
わかっているのに
心の糸が結べない 二人は恋人
すきなのよ すきなのよ
くちづけをしてほしかったの だけど
せつなくて 涙がでてきちゃう
2.
愛の言葉も 知らないで
さよならした人
たった一人のなつかしい 私の恋人
耳もとで 耳もとで
大好きと 云いたかったの だけど
はずかしくて 笑っていたあたし
3.
愛されたいと くちびるに
指を噛みながら
眠った夜の夢にいる こころの恋人
逢いたくて 逢いたくて
とおい空に 呼んでみるの だけど
淋しくて 死にたくなっちゃうわ
イントロの伸びのあるトランペットを聴いただけで、あの時代の歌謡曲の世界に心地よく誘(いざな)われていく。歌詞もリズムもメロディーも、本当に完成度の高い作品だと、何度聴いても思うのである。
実はこの曲から4年前の昭和37年に、ザ・ピーナッツの『手編みの靴下』というタイトルで、岩谷時子作詞、宮川泰作曲のコンビが詞の内容が異なる曲を作っていた。『逢いたくて逢いたくて』はその歌詞と編曲を変えた、いわばリメイク版ではあるが、ずいぶん雰囲気の違う曲である。1フレーズだけご紹介してみる。
小さな夢を 編み込んだ
手編みの靴下
心の糸をまきながら 一人で編んだの
いつまでも いつまでも
あの人に はいてほしいの だけど
通うかしら 私のこのまごころ
「心の糸」という言葉を残し、後の曲で上手に使われているなあという印象である。ただ前の曲の方は可憐な少女の心を表現しており、後の曲の方がもう少し大人の女性の心理を歌ったのではないかと思えるのだ。
さらに資料を見ていると、この『手編みの靴下』のベースになったのが、東辰三作詞・作曲で、平野愛子の『港が見える丘』だといくつかの場所で書かれている。私は『港が見える丘』も『逢いたくて逢いたくて』もどちらも本当に大好きな曲であるため、そのエピソードはうれしい気がするが、残念なことに今の段階では「ベースになった」という意味がわからないでいる。
曲に関する理解力が足りないのだろうと思うが、二つの曲の共通性というものが私には見えてこない。この件については、今後よく考えてみようと思っている。ある時、それが知恵の輪のようにすっと解けるのかもしれない。その時に、また新しい歌謡曲の世界観が見えてきたりしたら、それはかなり至福の瞬間だろう。
-…つづく
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