第323回:流行り歌に寄せて No.128 「赤坂の夜は更けて」「女の意地」~昭和40年(1965年)
私が経営している店で、常に「僕は西田佐知子のファンです」と言い続けているので、ほとんどの常連客の方々は「はい、はい、よくわかっていますよ」と、軽く聞き流していらっしゃる。
ところが時々、「マスター、じゃあ彼女のどこがそんなに良いの?」と聞いてくださる心優しい方も現れるので、私は待ってましたとばかりに、こう答えるのである。
「まず、あの声。他の人にはない、とても素敵な声質です。その声による歌唱力。そして何より、あの美しいお顔立ちです。戦前のことはよくわかりませんが、戦後の歌手の中では一番の美人ではないでしょうか」
しかし、お若い方々の中には彼女の顔を知っている人は少ないため、「『YouTube』で昭和40年の紅白に出場し『赤坂の夜は更けて』を歌っている彼女の姿を確認してください」とお話しすると、数日後、「マスターの言うこと、わかる気がする」とおっしゃってくださることが多い。
元々の女優が歌を歌っている人の中には、確かにきれいな方が多いが、その方々をも含めてももっとも美しいのではないかと、私は強く思っているのである。「贔屓もここに極まれり」、自分自身でもそう感じている。
さて、今回の2曲は同じレコードのA面『赤坂の夜は更けて』、B面『女の意地』として売り出された。ところがそのジャケットを確認すればわかるように、両方の曲のタイトルが同じ大きさの文字によって書かれており、いわゆる両A面であることがわかる。
ジャケット左側に、薄い紫の地に薄紅色で『女の意地』と少し太めの書体、亀裂が入ったように仕切られた右側には、薄いピンク地に緑色で『赤坂の夜は更けて』と、こちらはやや細めの書体で、字数も計算され、同格であることを表現しているようだ。
「赤坂の夜は更けて」 鈴木道明:作詞・作曲 西田佐知子:歌
1.
いまごろどうして いるのかしら
切ない想いに ゆれる灯影
むなしい未練とは 知りながら
恋しい人の名を ささやけば
逢いたい気持ちは つのるばかり
赤坂の夜は 更け行く
2.
夜霧が流れる 一ツ木あたり
冷たくかすんだ 街の灯よ
うつろなる心に たえずして
涙ぐみひそかに 酔う酒よ
身にしむ侘びしさ しんみりと
赤坂の夜は 更け行く
「女の意地」 鈴木道明:作詞・作曲 西田佐知子:歌
1.
こんなに別れが 苦しいものなら
二度と恋など したくはないわ
忘れられない あの人だけど
別れにゃならない 女の意地なの
2.
二度と逢うまい 別れた人に
逢えば未練の 泪をさそう
夜風つめたく まぶたにしみて
女心は はかなく哀しい
3.
想い出すまい 別れた人を
女心は 頼りないのよ
泪こらえて 夜空を仰げば
またたく星が にじんでこぼれた
《作詞・作曲の鈴木道明氏、昨年11月にこのコラムで日野てる子『夏の日の想い出』(同氏の作詞・作曲)について書いた時にはまだご存命であると記してしまいましたが、実はその後の資料から一昨年の12月に他界されていることがわかりました。深くお詫びして、ここに訂正いたします。》
後世に残る名曲を一枚で聴けるシングル・レコードがあったということは、今ではとてもうらやましい限りだが、その2曲の作詞・作曲を手掛けてしまった鈴木道明という人の存在感は実に大きいと思う。彼は前出の日野てる子のシングル『夏の日の想い出』でも『ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー』とのカップリングをしている。
私は個人的には『赤坂の夜は更けて』と『ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー』(西田佐知子版も実に良い)は、本当に大好きな2曲だが、曲の持つ大人の恋の雰囲気がとても似ていると感じている。少なくとも私には絶対に訪れない魅惑的な恋愛の世界で、ただひたすら「かっこいいなあ」とため息の連続なのである。
鈴木の描き出す『赤坂』や『トーキョー』は、私が手が届かないだけでなく、よく考えてみると、あるいはもうすでに存在しない都会の情景かもしれない。だから、永遠の憧れになるのだろうか。
さて、『女の意地』の方は、私が中学生の頃、前々回ご紹介した『下町育ち』のような昼のメロドラマのエンディング曲として聴いた記憶がある。その頃は単純に「女の人の意地というものは、なかなか怖いものだなあ」と怯んでしまった。
その後何回か繰り返し『女の意地』を聴いているうちに、この曲の持つ「諦念」のようなもの、それは主人公の人物設定も時代背景も大きく違っているが、菊池章子の『星の流れに』と同質のものが曲全体に沁み渡っていると感じるようになった。
西田佐知子は、水木かおる、藤原秀行コンビの『アカシアの雨がやむとき』『東京ブルース』を始め、今回の鈴木道明の2曲など、都会的で洗練された曲を、淡々と歌い上げる。この世界観は他の誰にも持ち得ないものだろうと思っている。どうやら何を書いても彼女への礼賛にしかならないようで、自分でもいささか閉口しているのだが。
-…つづく
第324回:流行り歌に寄せて No.129 「知りたくないの」~昭和40年(1965年)
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