第344回:流行り歌に寄せて No.149「夕陽が泣いている」~昭和41年(1966年)
このコラムの最初が、昭和21年の『リンゴの唄』であったが、それからほぼ150回を数え、今回ついにGSの曲をご紹介することになったのは、感慨深いものがある。GS、グループ・サウンズは、私たちの年齢(実際に最も熱くその影響を受けたのは2、3歳上のお兄さん、お姉さんたちだったが…)にとって、歌謡シーンのみならず、ある種の文化として、大きな広がりをみせたのだったと思う。
『リンゴの唄』から20年、実に多くの歌謡曲が作られ、愛されていった。このコラムに書かれた曲目を一覧するだけで、20年の歳月の流れをしっかりと感じることができる。
さて、キロロの『長い間』、SMAPの『夜空ノムコウ』、Every Little Thingの『Time goes by』これらが今から20年前のヒット曲。私もなんとか知っている曲ばかり、もちろんこちらの年齢のなせることだが、最近の曲だというイメージは拭えない。
昭和21年から41年と、平成10年から30年では同じ20年でも、その変容のスタイルがずいぶん違うものである。
今回の『夕陽が泣いている』は、私がまだ長野県岡谷市にいた頃に発売された曲だが、その頃聴いていた記憶というのがない。本当は若干あったのかも知れないが、長野のクラスメイトとグループ・サウンズの話をしていたことは覚えていない。GSというのは、私にとって名古屋の小学校に転校してからの、まさに「文化」だった。
「夕陽が泣いている」 浜口庫之助:作詞・作曲 チャーリー脇野:編曲 ザ・スパイダース:歌
夕焼け 海の夕焼け
真赤な 別れの色だよ
誰かに恋をして
激しい恋をして
夕陽が泣いている
僕の 心のように
夕陽も 泣いているのだろう
真赤な 唇のような
夕焼けの 空と海の色
あの娘の唇が
真赤な唇が
僕を呼んでいる
夕焼け 海の夕焼け
大きな 夕陽が泣いている
夕焼け 夕焼け・・・・
私がこの曲を認識して聴いた頃は、ちょうど名古屋市港区の小学校に転校してきて間もなくのことだった。男女を問わず、とにかくクラスのほとんどが友だちで、気のおけない仲間だった岡谷時代に比べ、言葉は荒く、暴力的で、とても乾いた印象の小学生たちに、まったく馴染めない屈託した思いを抱いていた。
「早く、いっ時も早く岡谷に帰りたいな」と、毎日そんなふうに考えていたものだ。けれども、強い働きがいを持って、新天地でがんばっている父親や、まったく環境の変わった近所づきあいに、なんとか慣れようと努力している母親には、何も打ち明けられなかった。
「このままいけば、もう何人か友だちができそうだよ」などと、茶の間では心にもないことを話していたのだ。客船がほとんどなく、無骨な貨物船ばかりが並んでいる名古屋港の夕暮れ時は、それでも美しく夕映えを見せていた。住んでいるアパートのベランダから、毎日見ることができた。『夕陽が泣いている』、そうか、お日様も泣いているんだな。辛いこともあるんだな、と思っていた。それで救われた思いはなかったが、必要以上に落ち込むことなく、何とか心のバランスを保って、明日の授業の準備を始めていた。
その後、たくさんのGSを聴いた。そして徐々に、外国船が寄航し、東海道新幹線も市電も走っているこの名古屋という都会で、自分はやはり生きていかなくてはならないことを自覚していった。もう帰るところはないことを、知っていくのである。GSの音楽は、田舎の牧歌的生活から、乾燥した都会生活へ移行していく上で、とても大きな役割を果たしていたように思う。
『夕陽が泣いている』は今聴いても、不思議な印象が残る曲である。ザ・スパイダースのコーラスは、どのGSにもない哀愁感が漂う。その後の『風が泣いている』も同様、夕焼けが、吹く風が、景色として私たちの心の中で展開されるような、そんなコーラスなのである。かまやつひろしの裏声が良いのかもわからない。もちろん、ハマクラ先生の大きな力によるものであることは間違いない。
さて、数多くあるGSの中でも、ほとんどのメンバーが、その後何十年も音楽業界をはじめ芸能界の中で活躍を続けているグループはないと思う。
リーダーだった田辺昭知(ドラムス)は誰もが知っている田辺エージェンシーの社長として芸能界に絶大な影響力を持つ。
堺正章(ボーカル)、井上順(ボーカル)はタレントとして大成功をしている。
大野克夫(キーボード、スチール・ギター)と井上孝之<のちに堯之>(リード・ギター)はミュージシャンとして不動の地位を築いている。残念ながら、井上堯之は9年ほど前引退してしまったが…。
2年前に他界したかまやつひろし(サイド・ギター)も亡くなるまで精力的に音楽活動を展開し、実に多くのミュージシャンたちに影響を与え続けた。
加藤充(ベース)、しばらくプロのベーシストとして活躍していたが、その後は保険会社に入社し、この人だけは実業の世界で活躍した。
最後に、私の大好きな『ノー・ノー・ボーイ』 田辺昭知:作詞 かまやつひろし:作曲は、詞の内容も、ブリティッシュ・テイストを持つコード感覚も、実にお洒落な曲だが、この曲が『夕陽が泣いている』よりも7ヵ月も前にリリースされていたことが今回分かり、これには大変驚いている。かまやつさん、恐るべしである。
-…つづく
第345回:流行り歌に寄せて No.150「涙くんさよなら」~昭和41年(1966年)
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