第330回:流行り歌に寄せて No.135 「雨の中の二人」~昭和41年(1966年)
今年は、昨年に引き続き空梅雨の傾向にあると聞く。自転車通勤で、雨が降ると合羽を着たり、滑る車道を走ったりすることが、ここ数年はかなり億劫に感じられる。けれども本当に降らずに水不足になるのは、取水制限など深刻な事態になるので、適量は降ってもらわないとやはり困るのである。
さて、“雨”がタイトルにつく曲は、歌謡曲の中にも実に多くあるが…、
「やさしくて、きれいな曲だなあ」と10歳になったばかりの男子は思ったものである。「歌の前の演奏が素敵だなあ」イントロなどという言葉さえ知らなかったが、そう感じ入ったのである。最近になって、その編曲が一ノ瀬義孝だということを知った。クラシック出身者らしく、美しいバイオリンの音色で雨の情景を描き出している。
その流麗な前奏の後、“雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花”という言葉により歌い始められる世界は、何ともロマンチックである。いきなり、そのうちの一人になって、雨の中に立っているような思いにさせる。
前々から思ってはいたが、編曲がいかにその曲の印象を決定付けてしまうのか、この仕事の重要性を今さらながら深く認識するようになった。だから135回目にして時すでに遅しではあるが、今回から編曲家のお名前も入れていくことにした。
「雨の中の二人」 宮川哲夫:作詞 利根一郎:作曲 一ノ瀬義孝:編曲 橋幸夫:歌
1.
雨が小粒の真珠なら
恋はピンクのバラの花
肩を寄せ合う小さな傘が
若いこころを燃えさせる
別れたくないふたりなら
濡れてゆこうよ 何処までも
2.
好きとはじめて打ちあけた
あれも小雨のこんな夜
頬に浮かべた可愛いえくぼ
匂ううなじもぼくのもの
帰したくない君だから
歩きつづけていたいのさ
3.
夜はこれからひとりだけ
君を帰すにゃ早すぎる
口に出さぬが思いは同じ
そっとうなずくいじらしさ
別れたくないふたりなら
濡れてゆこうよ何処までも
何処までも 何処までも...
それまでのほとんどの曲が、佐伯孝夫、吉田正の黄金コンビニより作られていた橋幸夫だったが、この曲の少し前あたりから他の人の作詞・作曲によるものもぽつりぽつりと出始めてきたようである。
宮川哲夫とはそれまでに仕事をしたことがあったが、利根一郎とは初仕事だった。利根と言えば、『星の流れに』『星影の小径』『ミネソタの卵売り』『ガード下の靴みがき』『若いお巡りさん』『13,800円』と、このコラムでも6曲ご紹介している。
それがスローであっても、アップ・テンポであっても、ともに叙情的で、せつないメロディーを作り出すことのできる偉大な作曲家である。宮川とは『ガード下の靴みがき』でもコンビを組んでいるが、この二人に一ノ瀬義孝が加わり、トリオを組んだのは初めてのことだった。
このトリオによる作品で橋が歌って、その年『汐風の中の二人』と『霧氷』という曲が生まれる。殊に『霧氷』は、この年昭和41年の第8回レコード大賞受賞曲となった。橋にとっては吉永小百合との『いつでも夢を』に次ぐ2回目の受賞で、当時は初のことである。但し、当時はなぜ『霧氷』がレコード大賞を獲得したのか、私の家族を始め多くの庶民には理解できないことだった。
最終候補に上がったのは橋幸夫の『霧氷』、加山雄三の『君といつまでも』、舟木一夫の『絶唱』、園まりの『逢いたくて逢いたくて』、西郷輝彦の『星のフラメンコ』、そしてマイク真木の『バラが咲いた』である。正直、他の5曲に比べて『霧氷』はまったく目立たない地味な曲だと、多くの庶民は感じていた。この曲だけはないなと。
むしろ『雨の中の二人』がエントリーされれば、ほとんどの人々は納得したのだと思う。それほどこの曲は多くの人々に愛されたのである。橋幸夫自身も『雨の中の二人』を幻のレコード大賞であると思う」と、その著書の中で語っているほどである。
ところでこの曲は、同年、梅雨の時期に入った6月封切りの同タイトルの松竹映画になっている。主演は、当時22歳の田村正和と17歳の中村晃子。YouTubeでその姿を見ることができるが、やはり若くてみずみずしく、思わず微笑んでしまう。この頃の橋幸夫にしてはめずらしく主演することなく、本人役としてステージでタイトル曲を披露している。
今日も先ほどまで雨が降り続いていたが、今は上がって少し明るくなってきた。今年、関東では子どもたちの夏休みが始まる7月21日頃梅雨が明けるようである、それまで、この歌を歌いながら自転車を漕ぐことにするから、生活水が確保できるほどの雨は降ってもらいたいものである。
-…つづく
第331回:流行り歌に寄せて No.136「骨まで愛して」~昭和41年(1966年)
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