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第307回:流行り歌に寄せて No.112 番外篇「東京オリンピック開会式」~昭和39年(1964年)

更新日2016/07/07

今年の初め、私が還暦を迎えて最初に書いた『東京ブルース』から昭和39年、オリンピック年の曲の紹介になった。1月発表の曲から順次書いていき、前回の『夜明けのうた』は9月に出された曲になった。そして10月となったとき、このコラムで取り扱われる曲とは性格が異なるが、やはりあのオリンピックの開会式での曲について書いてみたいという気持ちを強くしてしまった。

小学校3年生の私は、昭和39年10月10日の土曜日、半日あった学校から大急ぎで家に帰ると、その時の日本国民のほとんどがそうであったように、開会式を観るためにテレビの前に座った。あまりはっきり覚えていないが、父母と5歳の妹の4人、家族全員が一緒だったと思う。

国立霞ヶ丘陸上競技場。チャンネルはNHK、実況は北出清五郎アナウンサーであった。「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」は、放送時のあまりにも有名な台詞である。

「青空」と言っているが、我が家のテレビではそう見えない。その後、昭和史について書かれた中で、東京オリンピックによりカラーテレビが大いに普及したとするものもあるが、私の小学校の友だちの家の中で所持していたものは、一軒もなかった。我が家のテレビがカラー化されたのは、それから10年以上も後のことである。

さて、資料を読むと、開会式ではまず冒頭の午後13時50分、團伊玖磨作曲の「オリンピック序曲」が演奏され、参加国国旗の掲揚の際、黛敏郎作曲の「オリンピック・カンパノロジー」が再生演奏されたとあるが、残念ながらこの2曲に関する記憶はあまりない。

そして、天皇・皇后がロイヤル・ボックスに入られ、君が代が演奏される。その後、古関裕而作曲「オリンピック・マーチ」が、斉藤徳三郎隊長の率いる陸上自衛隊中央音楽隊により演奏され、ギリシャをはじめとする各国選手団の入場行進が始まるのである。

作曲家の古関裕而は、以前のこのコラム『巨人軍の歌?闘魂込めて』でも触れたが、日本のマーチ王と呼ばれた人。夏の甲子園のテーマ曲『栄冠は君に輝く』、NHKのスポーツ中継テーマ曲『スポーツショー行進曲』など、夥しい数の名曲を作り上げた人だ。

今聴いても心が躍ってくるような名曲、名演である。曲は参加94ヶ国の選手団が入場する間続くが、途中は有名ないくつかの行進曲のメドレーを挟んでいる。そして89番目のUSA、90番目のUSSRの二大国の入場から再びオリジナルのマーチに戻り、最後尾の日本選手団が敬礼をしながらロイヤル・ボックスの前を通過するタイミングで、メイン・テーマが演奏されるという演出が施されていた。

行進が終わると、安川第五郎東京オリンピック組織委員会会長の挨拶、アベリー・ブランデージIOC会長挨拶に続き、昭和天皇による開会宣言が行なわれた。その直後に演奏されるのが「オリンピック東京大会ファンファーレ」である。

少年だった私にとって、かつてこれほどまでに厳かな曲を聴いたことがなかった。一聴して後、今でもずっと耳と心に残り続けている。聖火台の下で、斉藤隊長の指揮の下、30台のオリンピックのフラッグを付けたトランペットが国立競技場に鳴り響く。

作曲者の今井光也(1922年~2014年)は、私と同郷の長野県諏訪市の出身であることを最近知り、大変うれしく思ったものである。地元の三協精機製作所で勤務しながら、諏訪交響楽団に入団し、フルートとホルンの演奏者として、また指揮者として活躍した人だ。

オリンピック組織委員会とNHKが行なったオリンピック東京大会ファンファーレの公募に応え、見事に選出された。B♭管トランペット4パートによる演奏だった。

このオリンピックの翌年か翌々年、この陸上自衛隊中央音楽隊が私たちの住む町に来て、このファンファーレを演奏してくれた。私は一音たりとも聞き漏らすまいという気持ちで全神経を耳に集中し、この名曲をまさに拝聴したのである。

ファンファーレの後は、1956年の冬季夏季オリンピック以来演奏されているスピロ・サマラス作詞、東京大会では野上彰訳詞、コスティス・パラマス作曲の「オリンピック賛歌」の合唱があり、織田ポールに五輪旗が掲揚され、耳をつん裂く3発の祝砲が打たれた。

次に私が印象に残っているのが、オリンピック旗の引き継ぎのシーン。オリンピック旗を持つイタリアの青年を先導するように入場してきたのが、小学生による鼓隊。

新宿区立牛込仲之小学校の6年生の男女31名の児童が、水色のマーチング・スタイルの衣装を身に纏い、腰の辺りに巻きつけた小太鼓を、鮮やかなアクションを交えて叩きながら、颯爽と行進した。プログラムの上での大切なパートをティーン・エイジャーになる前の子どもたちが担ったのだ。衣装が水色だと判明したのは、その随分後に市川崑監督の映画を観た時だった。この映画で選手たちのスーツなどの色が初めてわかり、再び感動したものだ。

テレビの前の私は「やっぱり東京の小学生たちは、本当に格好がいいなあ」と、ただただ憧憬の眼差しで彼ら彼女らを見つめていたのである。

そして「聖火最終ランナー坂井義則君」が、トーチを掲げながらトラックを半周した後に階段を一気に駆け上り、聖火台に点火する。次の瞬間に火炎太鼓の音、さらに佐藤春夫作詞、清水脩作曲の「東京オリンピック賛歌」の合唱が、聖火をより勢いよく燃えさせるかのように行なわれ、会場内は最高潮に盛り上がっていく……。

-…つづく

 

 

第308回:流行り歌に寄せて No.113 「花と竜」~昭和39年(1964年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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