第333回:流行り歌に寄せて No.138 「ほんきかしら」~昭和41年(1966年)
だいぶ前にその章は終了したが、NHK朝の連続テレビ小説『ひよっこ』、向島電機「乙女寮」でみね子と同室の面々。みね子と同期ながら中学卒で入社した澄子と豊子、先輩である幸子と優子。そしてみね子と同郷で幼なじみの時子。みんな、本当に可愛い女の子だった。
みね子をはじめ、澄子、豊子、幸子、優子はその頃の女の子には多く見られた名前だが、「時子」というのは珍しい気がする。古くは北条家にあるが、時宗の娘であるからのネーミングだし、その後はあまり使われないモダンな名前という印象である。女優を目指すという役柄でもあり『ひよっこ』の作者の岡田惠和氏はこの名前を用いたのだろうか。
私が今まで耳にした中で唯一知る「時子」さんは、あの洗練された印象の岩谷時子女史のみであり、彼女のイメージがそのまま名前のイメージになっているのかも知れない。
前置きが長くなったが、泣き節で知られる島倉千代子の詞を、演歌系とは随分と趣の異なる岩谷時子に依頼したのは、当時としては驚くべきことだったろう。しかも、作詞家、作曲家をも含む専属制が確立されていた時代に、フリーの岩谷に声をかけるということ自体、大変なことだったはずである。
(依頼を受けて岩谷が最初に発した言葉が 「ほんきかしら」と言ったというエピソードも残っているようだ)
それをやってのけたのは、コロムビアレコードの辣腕プロデューサー、酒井政利その人である。以前『愛と死をみつめて』の項でも少しご紹介したが、彼は今までのレコード業界の常識を打ち破る革新的な仕事を数多く手掛けている。のちの南沙織、郷ひろみ、山口百恵らが大スターの座に着いたのも、彼の功績によるものであることは、周知のことである。
「ほんきかしら」 岩谷時子:作詞 土田啓四郎:作曲・編曲 島倉千代子:歌
ほんきかしら
(好きさ大好きさ 世界で君が いちばん好きさ)
うれしいわ うれしいわ
この喜びを どうしましょう
許してね 疑ったりして
たのしいひとこと ききたかったのよ
ほんきかしら
(好きさ大好きさ 知ってるくせに)
好きとあなたから
いってほしい 女ごころ
じっと瞳〈め〉をみて くちびる重ねましょう
ほんきかしら
(好きさ大好きさ 世界で君が いちばん好きさ)
昼も夜も おもかげを
しのびながら 胸はずむわ
許してね こぼれる涙を
やさしい言葉で 泣きたかったのよ
ほんきかしら
(好きさ大好きさ 知ってるくせに)
いつも愛を
たしかめたい 女ごころ
そっと瞳〈め〉をとじ くちびる重ねましょう
許してね 困らせたりして
ときどき淋しい これが恋なのよ
ほんきかしら
(好きさ大好きさ 知ってるくせに)
夢のはかなさに
ふるえている 女ごころ
かたく手をとり くちびる重ねましょう
( )内の部分は男性コーラス、岡田みのるとヤング・トーンズによる歌唱
作曲家の土田啓四郎は『愛と死をみつめて』も提供しており、その時も酒井政利との縁があった。彼については、レコード大賞受賞曲の作詞者でありながら、ネット上では詳細についてあまり掲載されていなかった。作詞した作品には島倉千代子の『恋人さん』、青山和子の『うず潮』などNHKの関連を始め、テレビ番組の主題歌やCMのテーマ曲などが多いようである。
男性コーラスを担当した『岡田みのるとヤング・トーンズ』は、ムード歌謡系のグループ。代表曲に『雨の長崎』『広島ブルース』などご当地を歌ったものがある。
このコーラスの絡み、ヤング・トーンズは、最初に「好きさ大好きさ 世界で君が いちばん好きさ」と3小節歌い切っているのに、次では「好きさ大好きさ 知ってるくせに」と2小節だけを歌い、その後の1小節を「好きとあなたから」と島倉にすっと渡してしまっている連携プレーがお洒落だと思う。即ち、作詞家と作曲家の連携プレーだとも言えるだろう。こういうのは、実に楽しい。
さて、今までの歌には「くちびる重ねましょう」という直接的な表現がなかったと思われるお千代さん。さすがにモダンな岩谷時子の書いたものだからだろう。ただ、最初に聴いた子どもの頃は、何かとても触れてはならない大人の世界を覗き見るような思いがして胸が騒いだ。
その照れ臭さから来ているのではないだろうが、当時私たちは次のような替え歌を作って歌っていたものだ。
ほんきかしら
(好きさ大好きさ 世界で君が いちばん好きさ)
うれしいわ
(嘘に決まっとる)
そんなの侮辱 ぶっとばしちまうぞ
実に他愛のない替え歌だけれど、男が瞬時に嘘をつく存在であることを、当時の私たちはどこで覚えたのだろうか。
-…つづく
第334回:流行り歌に寄せて No.139 「バラが咲いた」~昭和41年(1966年)
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