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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第448回:風の盆残像 - 高山本線 富山 - 越中八尾 -

更新日2012/11/29



富山駅北口は5時55分の開門と貼り紙があった。急ぐなら地下道を通って南口へ行くようにと書いてある。夜行バスが南口に停まってくれたら……とまた思う。悔しいから北口にとどまり開門を待った。少し早い時間に駅員が現れて、申し訳なさそうに鍵を外して扉を開けた。「寒かったぁ」と大声で独り言を言うおばさんに追い越された。

跨線橋を渡るときに、なんとなく東側の窓から外を見る。富山地方鉄道の現在の駅と、移転前の駅の跡を確認する。手前に新幹線高架の橋桁が生えている。新幹線開業後、この景気はどう見えるだろう。


早朝の富山駅構内

高山本線のホームに降りたら件のおばさんがいた。富山駅06時15分発の普通列車は途中の越中八尾どまりである。高山本線は富山と岐阜を結ぶ。全長225.8kmの山越え路線で、この距離になると全線直通の各駅停車はない。この列車のあとは猪谷行であった。猪谷は神岡鉄道の起点である。神岡鉄道に乗るために猪谷まで乗って、駅前も散策済みである。だから今回は越中八尾で散歩をしようと思う。越中八尾はおわら風の盆の町である。いまは時期ではないけれど、街の佇まいはよさそうだ。乗り継ぎまでの2時間はちょうど良いと思われた。

この区間の前回の訪問は7年前の2月だった(第102回)。あの時も6時台の列車だった。神通川を渡ると沿線は雪に埋もれ、小さな駅の樹木が雪の彫刻のようだった。今日は4月。時期は2ヵ月しか違わないけれど、もうこのあたりに雪はない。車窓の違いは新幹線の高架だろうか。その橋桁をくぐって南へ針路をとった。雪の日は見通せなかったけれど本日は快晴。通学時間帯が始まっており、上りホームに学生さんたちが並んでいる。


高山本線越中八尾行は2両編成

なんとなく運転台の後ろから全方を眺めると、小さな駅が近付いて「婦中鵜坂」の文字があった。この駅は前回の旅ではなかった。その翌年に富山市の要請で新設された駅だ。高山本線を活性化するために駅を作る実験だった。2011年までの仮駅だったけれど、効果ありとして常設化が決まった。付近には企業団地と住宅地がある。降車は二人。


越中八尾駅の木造駅舎

次の駅は「速星」。はやほしと読む。カッコいい名前である。降車客が数人。駅に隣接して大きな工場があって、貨物用の線路が並ぶ。銀色のタンク車がいくつか置いてあり、どれも赤い星がついている。映画で見たロシアの風景のようだ。積荷はカタカナで「液化アンモニア」と読めた。アンモニアは排泄物の臭気の源であるから臭い。しかしアンモニア液そのものは臭いなんてものではない。鼻が麻痺する。小学校の理科の実験でひどい目にあって、30年以上も前だがまだ覚えている。あのタンクが破裂したら大変なことになる。トラックで運ばせてはいけない。安全確実な鉄道貨物の出番である。

井田川を渡り、千里駅に着く。駅名を繋ぐと「速星千里」である。宝塚スターにありそうな名だ。向かいのホームに女学生がいる。どの子に速星千里と名づけようかと思うけれど、顔が見えない。試験中の子はノートを読み、そうでない子は携帯電話を見ている。誰も顔を上げていない。


石屋さん。墓石も庭石も

06時40分。越中八尾駅に到着。長いホームを持つ大きな駅だ。おわら風の盆の人手に合わせたサイズである。そこに今日は2両の気動車だけが停まる。待合室に「おわら風の盆」のポスターが並ぶ。駅前にはスクールバスが待機していた。駅舎は木造の寄棟造り。屋根瓦は黒。壁はアイボリー。腰壁と窓枠がレンガ色。平屋だが立派な建物だ。

こんな時間だから、見るべき施設は開いていない。運動のつもりで歩こうか。駅前の案内図を眺めて、観光ルートをすべて歩くと数キロと検討をつけた。持ち時間は2時間で、時速4kmの歩行でたどり着けそう。私はまず、井田川を渡る大橋をめざした。


井田川を渡る

大きな黒い犬を散歩させている人がいる。同じ方向で、どうしたものかと思う。私は犬好きだから仲良くなる自信はある。しかし、飼い主は犬が他人に近づくことを嫌う。犬の気性がやさしくても、相手が犬好きでなければ怖がらせると知っているからだ。やはり飼い主のおじさんは私の動きが気になるようだった。私は気にせず、とうとう追いついた。

「大丈夫だよ」と私は屈んで犬に話しかけた。私に犬のにおいをかぎ取ったようで、鼻を近づける。首の周りをなでてやる。おじさんが「あっ、ごめんなさい、汚いですよ」という。涎で服が汚れると心配してくれたかと思い「いいですよ、普段着ですから」と応えた。犬と別れたあと、手を見たら真っ黒だった。そういう意味かと思った。外飼いの犬は風呂に入らない。そういう習慣だろうか。


八尾八幡。祭神は大国主命と聖徳太子など。複数の社を合併している

おわらの町の奥へ進む。電柱に売家の看板がある。990万円。木造二階建て、土地65坪、建物面積109坪。リフォーム済み。20年ローンで月々の支払は44,670円。もし私が立地に寄らないクリエイターなら、すぐにでも手を付けたい。あと私にとって必要な環境は、光ファイバーとアレルギー喘息の病院。昔は本屋やレンタルビデオ店も必要だったけど、今はネットがつながれば店はいらない。そんな時代でも過疎は進み、田舎の家は安くなる。仕事がないからだろう。私の仕事も立地に寄らないとはいえ、たまには都内の取材仕事をしたい。打ち合わせの機動力がほしい。だから都内から出られない。


浄土真宗本願寺派聞名寺。八尾はこの寺の門前町が起こりという

集団登校の小学生たちが挨拶をしてくれる。防犯の意味で、見知らぬ人には先手を打つように教わっているのだろう。そう思っても、やはり挨拶は気持ちいい。足取りも軽くなり、日本の道百選という諏訪町本通りの入り口に着いて、時計を見る。どうやらここが折り返し点のようだ。近くに見晴らしの良い公園があるようだけど、断念。河岸段丘を降りて井田川の対岸を歩き、駅に戻った時刻は08時15分。予定の列車の約20分前。折り返し点の選択は間違っていなかった。

コンビニで買ったパンを待合室でかじる。テレビで演歌歌手が事務所社長を解任したと報じている。当人は修羅場だろうけれど、おわら八尾の朝は平和であった。


諏訪町本通りを見通して帰る

-…つづく

 

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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『A列車で行こう9 Version2.0 プロフェッショナル 公式ガイドブック』 杉山淳一著(株式会社(エンターブレイン)

http://www.a-train9.jp/professional/


『A列車で行こう9 公式エキスパートガイドブック』
杉山 淳一著(株式会社エンターブレイン)





『もっと知ればさらに面白い鉄道雑学256』
杉山 淳一 著(リイド文庫)





『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』
杉山 淳一 著(リイド文庫)


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