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第404回:おいわきやまに背を向けて - 弘南鉄道大鰐線2 -

更新日2011/12/23



後部車両の運転台越しに車両基地が遠ざかる。そのまま眺めていたら、ふらりと岩木山が正面にやってきた。晴れてきて、山頂が見えた。取り立てて珍しいものもない風景の中で、凛として立つ山の姿。平地にこの山だけがそびえる様子は「津軽富士」の異名にふさわしい。高い山はこれだけであるから、古くから信仰の対象となっていて、「おいわき山」と「お」を付けて呼ばれる。


最後部から岩木山を見る

そういえば、私の中学時代に『帰ってこいよ』という演歌が流行った。歌手は松村和子さん。ジーパンのカジュアルな衣装に三味線を抱え、フォークシンガーのギターのように奏でながら歌った。その歌詞の中に「おいわきやまに背を向けた」という言葉がある。当時の私は「追分山」の東北なまりだろうと思っていた。中学を卒業した春休みに津軽を訪れ、雪をかぶった岩木山に見とれたけれど、それが「お岩木山」とは気づかなかった。

「おいわきやま」が岩木山だと知っていれば、あの歌も違った気持ちで聞けただろう。青森出身の人々の思いも分かち合えたかもしれない。歌詞は楽曲の付録ではない。気に入った曲があったら、歌詞の意味もちゃんと理解しておきたい。もっとも、そう思わせる歌をしばらく聴かない。流行歌が、なにもかも上っ面を撫でたように聞こえてしまう。これは歌のせいだろうか。老化して感受性が鈍ったせいだろうか。


奥羽本線を超えた

さて、電車は歌詞のように「お岩木山に背を向けて」走る。お岩木山が右に隠れ、林を通り抜け、鉄路の坂道を上って奥羽本線を跨いだ。奥羽本線の石川駅はこの立体交差の近く。しかし弘南鉄道の石川駅は少し離れたところにある。その手前の義塾高校前駅のほうがJR石川駅に近い。駅名の由来となった東奥義塾高校は、弘前藩の藩校を起源とし、明治時代に廃校となりかけたところ、慶應義塾の卒業生が私学として引き継いだ。その後再び市立学校となり、県立学校となり、また私学となった。「継続は力なり」を地で行く歴史である。当地の移転は1987年で、この時に弘南鉄道の駅もできた。鉄道にとって通学生は上客である。学校移転には弘南鉄道の誘致もあったのではないか。

その弘南鉄道大鰐線は1952年に弘南電気鉄道として開業している。戦後であり、これは地方鉄道としては比較的新しいほうだ。日本の鉄道の流れを追うと、明治初期に官営鉄道が始まり、続いて大手資本による民間の幹線建設が始まる。続いて都市部に参詣電鉄などができて、地方では大正から昭和初期に鉄道建設ブームが起き、戦時中に資材供出で休止や廃線に追い込まれていく。地方の戦後復興は、国鉄と民間のバスが担っていたという印象だ。


次は平川を超える

大鰐線がバスではなく電鉄として開業した理由に、三菱電機の鉄道関連事業参入の実験という意味合いがあったという。三菱グループは実践的な事業参入が得意なようで、高度成長期には湘南モノレールの設立にも関与した。それはともかくとして、弘南電鉄のほうは奥羽本線とバスというライバルに苦戦し、三菱は撤退。会社は継続困難となって、弘南鉄道が路線を引き継いだ。弘南鉄道の弘南線と大鰐線が分離している理由はこうした経緯による。


石川プール前駅前の石川プール

弘南鉄道の石川駅と石川プール前駅の間に川があり、電車は鉄橋を渡っていく。この川が石川かというとそうではなく平川だという。石川の由来は付近の石川城で、その一帯が石川と呼ばれている。石川プールはまさに駅前に城のように構えていた。これは温水プールで、清掃工場の余熱を利用した施設らしい。北国の海水浴シーズンは短いだろうから、温水プールは人気があるだろう。もっとも乗降客は少なかった。クルマや送迎バスの利用者のほうが多いかもしれない。


森に守られた神社

この先は水田が広がる景色で、もう林檎畑は見えない。小さな森があり、赤い鳥居が見えた。線路と平川が寄り添う。平川の対岸に奥羽本線の架線柱が見える。終点の大鰐駅が近づいている。大鰐線は土淵川の辺りを出て、平川と虹貝川が合流する大鰐に至る路線だった。目立つ建物は学校と温水プール。住みやすそうな景色に見えるけれど、乗降人員は減少傾向という。ましてや少子化。鉄道路線の経営は厳しそうである。


平川の向こうに奥羽本線が見える

その厳しさが趣味的には幸いしてか、大鰐駅のホーム上屋は古いまま。木造で趣があった。模型づくりの参考にしたいのか、M氏が熱心にカメラを操っている。しかし、乗り継ぎ時間は短い。もう奥羽本線の列車はホームに入っている。
「もうちょっと駅舎を見ていたかったな」とM氏がいう。私も同感である。しかし乗り換え時間は3分しかない。この列車を逃せば、次の普通列車は2時間後であった。申し訳なく思いつつM氏を急かし、跨線橋への階段を駆け上がった。


木造上屋の大鰐駅に到着

新しいステンレス車体、ロングシートの電車の窓から、古い東急のステンレス電車を振り返る。木造の建物のそばに佇むせいか、ずいぶん近代的な車両に見える。銀色の電車の良さは、古さを感じさせないところだな、とあらためて思った。


名残惜しくも3分でお別れ

-…つづく

 

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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