第405回:大館盆地から花輪盆地へ - 花輪線1 大館~十和田南 -
奥羽本線の大鰐温泉駅から各駅停車で南下した。大館まで6駅、約30分の乗車である。この辺りは本線といえども閑散としたダイヤで、普通列車は午前中に1時間あたり1本、日中以降で2時間おきに1本。人を載せるために走るか、線路の点検をしているか、という按配である。都会の鉄道利用者には理解しにくいほどアテにならない。
しかし3両編成の車内を見渡せば20人ほどの乗客がいる。私達の向かいのロングシートに髪の長い女子高生がひとり。ほかは意外にもスーツ姿の男性たち。彼らの足はクルマではないかと思うけれど、もしかしたら、新幹線で出張にきたお役人かもしれない。そんなことを思いながら、向かいの窓のパノラマを眺める。緑の山、青い空、そのフレームの右はじに美少女。良い眺めである。
奥羽本線から秋田杉の森を見る
大館駅の接続は13分。駅弁の『鶏めし』で有名な駅だけど、昼時を外してしまったせいか見当たらない。ホームに戻り、すでに入線していた花輪線のディーゼルカー、キハ111形を検分する。先頭車のヘッドライト付近の屋根に、NTT
DoCoMoと書いた小さなドームが置かれている。あれは何だろうとM氏と話す。後に調べると、山間部で列車無線が使えない場合に備えた衛星電話システムらしい。地方の小さな路線が宇宙と繋がっているとはすごい。
そんなことをネットで調べていたら、大館駅は忠犬ハチ公の故郷であり、駅前に銅像、構内にハチ公神社まであるという。犬好きとしてはこちらを見逃したことが悔やまれた。事前に訪問先を調べれば見落としはない。しかし調べが過ぎれば行った気になってしまうし、現地で発見する喜びもない。私の旅の場合は駅弁調べまでが精一杯で、無くてがっかりというオチである。
花輪線のキハ111形
キハ100系シリーズはJR東日本がローカル線向けに開発したディーゼルカーで、各路線の都合に合わせて様々な仕様が作られている。私が初めて乗った路線は八高線で、電車並みの加速に驚いた。花輪線のキハ111形は東北地方のローカル線に多いタイプらしい。車内はロングシートとクロスシートが配置されており、クロスシートは一人がけ、二人で向かい合わせの席もある。混雑対策で通路を広めに取っている。これは八高線と共通のようだ。その他の違いはわからない。
定刻の13時47分に大館駅を発車した。もっとも北側のホームを出発し、いったん、右へそれて築堤を上り、奥羽本線をまたぎ、その高度を維持して長木川を渡る。なんだか面倒なことをする。初めから南側のホームを出発し、南へ線路を分岐すればよさそうなものである。こんな構造になった理由は、花輪線が国鉄ではなく、民間の秋田鉄道として作られたかららしい。
1列のクロスシート
奥羽本線の大館駅は1899(明治32)年の開業で、秋田鉄道はその15年後、1914(大正3)年に開通している。この間に大館駅の南側には貨物ヤードが造られ、小坂製錬の貨物線が造られた。だから南側へ分岐する形をとれず、大館駅に乗り入れるためには奥羽本線を跨いだ向こう側に行くしかなかった。その貨物線は旅客営業も行われており、私は1992年の夏に乗車していた。花岡線といって、小坂までの22.2kmだった。遠い記憶では、延々とつづく森の中を走り、かなり勾配を上った気がする。
小坂鉄道花岡線は私の乗車から2年後の1994年に旅客営業を廃止。2008年には貨物列車も運行を終了している。しかし、大館市と小坂町はこの路線を観光鉄道として復活させる構想を持っているという。沿線には樹海ドーム、樹海体育館などがあり、並行する県道2号線は樹海ラインの愛称がつく。秋田杉の森が多い地域のようだ。観光鉄道が実現したら、大館駅を再訪しよう。ハチ公神社も忘れずに参詣しよう。
水の豊かな大館盆地
花輪線の列車は大館市の南へ抜けて米代川に出会い、川を遡るように東へ向かう。目指すは東北の屋根、奥羽山脈である。大滝温泉駅を過ぎると盆地が狭まって谷となり、車窓左手には杉が群生する山が並ぶ。なるほどあれが樹海と思う。南には比内連峰が迫っている。このあたり、豊かな森林資源と鉱山が多く、大館は川幅の広い米代川の水運で栄えた。これを鉄馬で運ぼうという意図で秋田鉄道が建設された。納得できる話である。
列車は谷へ進んでいく
線路と米代川付近は水田。そんな谷を抜けると花輪盆地が広がる。盆地の入り口が十和田南駅だ。十和田湖の南だから名付けられた駅名だろうけれど、その十和田湖は直線距離で20kmも離れている。納得しがたいが、クルマ社会ではこれでも最寄りの範疇だろうか。開業時の駅名は毛馬内で、そういえば、以前の取引先に毛馬内さんという苗字の人がいた。北海道の出身かと訊ねたら東北だと言われた。
何度か米代川を渡った
ナイは沢や川という意味で北海道にも多い。ケマナイはキ・マ・ナイで、「葦の生える沼から流れだす川」というような意味らしい。毛馬内駅が十和田南駅となった年は1957年。戦後の好景気を背景とした観光ブームが始まった頃であった。十和田湖の北東には十和田観光電鉄の十和田市駅もあって、あちらも30kmほど離れている。十和田市駅も元は三本木駅。改名はアンノン族登場直前の1969年。十和田観光の拠点づくりとしては、十和田南駅のほうが先輩であるようだ。
もうひとつ、弘南鉄道の黒石駅も十和田湖から約30kmである。しかしこちらからはバスの便がなく、十和田湖観光には参加していないようである。
十和田南駅に到着
-…つづく
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