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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第426回:残念な名前 -北近畿タンゴ鉄道 宮津線2 -

更新日2012/06/14



但馬と丹後を隔てるトンネルは長かった。北近畿タンゴ鉄道の行く末と、朝から降りしきる雪を思うと気分も沈んだ。しかし、その長いトンネルを抜けると晴れていた。太陽の光を見れば気分も上向く。いつまでも暗闇ではない。いつまでも厳寒ではない。人生も線路も明暗の繰り返しだ。

列車は朝陽を浴びて日本海へ向かっている。久美浜駅は久美浜湾の奥にある。"湾"といっても元は湖だ。大正時代に海に最も近い砂州に水路を作って湾としたという。久美浜港は波の穏やかな良港で、かつては城崎まで定期船があったらしい。しかし1929(昭和4)年に久美浜と豊岡が鉄道で結ばれると、人と物の流れが内陸に変わった。

海路と交代した鉄路も、1962(昭和37)年に丹後半島一周道路が開通すると、運輸の主役を引き渡した。その鉄道路線が宮津線である。国鉄宮津線は赤字ローカル線として廃止対象となり、北近畿タンゴ鉄道が引き受けて現在に至る。宮津だの北近畿だの言われても、遠方の住人にはピンとこないだろう。しかし、日本三景、天橋立と聞けば「ああそうか」と思う。名づけで失敗した路線かもしれない。


京丹後地域は晴れ

天橋立は日本有数の観光地であるから、日本の鉄道発達史では早くから路線建設の機運があったようだ。国際港のあった舞鶴から線路を伸ばし、1924(大正13)年に宮津までの約30kmが開業している。日本三景と国際港を結ぶ路線である。かなり賑わったと予想する。宮津は天橋立の入り口の町だ。

但し、この路線はさらに西の町、峰山まで計画されていた。峰山は丹後ちりめんの発祥の地である。丹後ちりめんを国際貿易品にするという意図も見える。峰山駅開業は翌年であった。峰山に到達すると、今度は国境の向こうの豊岡と結ぶ計画が生まれた。宮津の人々は大阪へ直行できる宮福線も望んでおり、こちらは民間の資本で計画を進めた。しかし、こちらはトンネルも多く、資金難から建設は停滞してしまう。

峰山と豊岡を結ぶ路線がなぜ計画されたのだろう。あの時代、県境に長いトンネルを掘るためにはそれなりの理由があったはずだ。舞鶴港と山陰主要都市を結ぶ目的があったか、あるいは軍事的に山陰本線を二重化したかったか。いや、それなら温泉地として名高い城崎と結ぶべきだ。豊岡という都市の規模と、播但線を含めた列島横断ルートを意図したか。


朝食の唐辛子スナック

久美浜湾に接する丹後神野駅でしばらく停車する。通過列車待ちと車掌が言う。対向側線路に回送列車がきた。こちらは乗客がひとり。初老の男性である。あちらもこちらも空箱のような列車である。しばらく走ると遠くに海が見える。これが日本海である。このあたりは海水浴場が多いらしい。ここに夏だけ営業する駅があっても良さそうだ。電車で海へ行くという習慣は大都市だけだろうか。

腹が減った。朝食を買いそびれた。糖尿病治療のダイエットを始めて以来、食事は07時、12時、19時を守っている。今は06時30分。腹時計も正確になってきた。私は非常食として持参した菓子の袋を開けた。中国製の唐辛子スナックで『香脆椒 MAGIC CHILI』という。ポテトチップの唐辛子版だ。唐辛子は脂肪を燃焼してくれるだろう。しかしそれ以上に油とピーナツが入って、カロリーは高そうである。程々にしておく。


良い天気になりそう

木津温泉駅は、かつて丹後木津という名の駅だった。旧国名が付く駅の多くは国鉄時代に開業した。全国の同名地と重複しないようにという配慮だった。会社も変わり混同もしないから、観光客を見込んで駅名に温泉の文字をつける。そういう事例は多い。この駅は良心的で、ホームに足湯が設けられている。もうすこし停車時間があれば、と思った。

窓の外に、木津温泉の由来を示した看板がある。木津の温泉を広めた人は奈良時代の行基という僧侶だという。天平の飢饉の教訓から開梱を指導し、疫病の治療として温泉を村人に薦めたとある。ここには書いていないけれど、行基は後に東大寺の大仏建立の責任者になっている。


再び内陸へ、丹後半島横断

木津温泉からの乗客は二人。次の網野で二人降りた。丹後神野から乗ってきた男性も降りた。列車は海を背にするように進路を変える。丹後半島の根本を横断するルートである。その途中の峰山駅のホームに15人ほど待っていた。丹後ちりめん発祥の地。この土地の一日が始まったようだ。丹後大宮で10人の乗車。順調にお客が増えていく。


このあたり、地面に雪が残っている。山裾に近づいたせいだろうか。野田川駅は片側ホーム1本、島式ホーム2本の構えで、いわゆる国鉄型2面3線という形状で、地方の大きな町の駅に用いられた。1985(昭和60)年まで、この駅から加悦まで鉄道があった。珍しい車両が多く鉄道ファンにも有名だった。


峰山付近は雪景色

しかし主力は鉱石輸送であり、国鉄宮津線の貨物輸送廃止に伴って窮地に立たされ、やがて廃止となった。最近は静岡県の岳南鉄道が、JR貨物の引き受け停止によって貨物輸送を絶たれて窮地に追いやられた。ひどい話だと思ったけれど、いまに始まったことではなかったようだ。

加悦鉄道の車両は今でも保存されているらしい。見物したいと思うけれど、開館日は土日祝日とのことで、今回は日程が合わなかった。私の旅は動いている路線が第一の目的だ。お墓参りはいつでもできる。聞くところによれば、加悦鉄道は副業が多く、社名を替えて存続した。その会社が保存車両の展示場を公園のように整備し、手厚く管理しているという。


遙か加悦を想う

-…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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