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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第430回:股のぞきの眼福 - 丹後海陸交通登山バス -

更新日2012/07/12



籠神社におわした天照大御神が天と行き来した天橋立。その名は平安時代にも伝わっていたという。しかしそのまま見れば海橋立である。天にかかるように見たいなら股のぞきをすればいい。この股のぞきは、古来の風習かと思えば意外と歴史は浅く、明治時代後期から始まった。天橋立展望台を作った吉田皆三という人が宣伝のために広めたそうだ。


股のぞきをする人々を覗き見る

土用のうなぎは平賀源内が作った話。別府の地獄温泉は油屋熊八。所詮、金儲けのための言葉である。一瞬で廃れる言葉も多いなか、文化を作り後世に影響を残す言葉もある。広告という分野も奥が深い。そもそも天橋立という名付けも、その風景に魅入られた人の喧伝であろう。ならば百人一首の60番

 > 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立

これが最古の観光広告ではないか。詠んだ小式部内侍はその意図はなかっただろうけれど、この句を知って天橋立に興味を持った人は多かっただろう。

女流歌人、小式部内侍は和泉式部の娘で、その奔放な振る舞いから歌人界ではバカにされていたらしい。この歌は「あなたの歌は母が作ってくれたものではないか」という疑惑があった時に、即興で返した歌だと言われている。"ふみ" は "文" と "踏み" をかけ、"道" "橋" という距離感、隔たりも表した。和泉式部は丹後に住んでおり、小式部は「しばらく母には会ってもいないし手紙のやり取りもない」と歌った。

即興の返歌でこれだけの仕掛けを作り、その才能を示したから、小式部内侍は揺るぎない評価を得た。現在も似たような事例はありそうだ。おバカな発言でお茶の間を笑わせるアイドルタレントが、舞台で真の実力を示し大歌手や女優に脱皮する。


展望台にはガラスの床も
東京スイカツリーと同じ?

股のぞきのステージは賑やかである。オバちゃんたちが嬉々として大股を広げ背中を丸める。そして旦那さんに写真を撮らせている。男性はあまりやらない。女性はここぞというところで思い切った行動ができる。私はそれを羨ましく思いつつ、そんなことをしなくても、写真を撮って180度回転すればいいじゃないか、と思っている。


名物アトラクション? かわらなげ
独りでやっても面白くない……

しかし、実はこれは間違いだ。画像加工で180度回転すると、左右も入れ替わってしまう。股のぞきは上下しか反転しない。そう思って私も股のぞきを試した。そこでカメラを構えて……あ、なんだ。写真を180度回転したらだめだけど、カメラを逆さまにして撮ればいいんだ。

私のあとに女の子のグループが股のぞきを始めた。しかし逆向きである。その様子を別の友達が撮影している。記念撮影だから顔を映したいらしい。丸いおしりと顔がこちらを向いている。これは私にとっても良い眺めであった。これこそ天橋立ならではの景色である。


股のぞきした景色?

視界にマイクロバスの姿がある。もしやと思って停留所に走り寄ると、成相寺行きのバスだった。運行が始まったようだ。「乗りますか」と問われ頷くと、きっぷを買えという。いやフリーきっぷだからというと、それ以外に成相寺の入山料金が必要とのことであった。待ってもらって500円を払い、バスに乗る。

先客はオバちゃん二人。賑やかにおしゃべりしている。私のように信心のない者が、仏閣行きのバスに乗ったところで、と思ったけれど、このバスは険しく細い山道を走る。真下を眺める景色にゾクッとする。
「あなた、重いからそっちに座っちゃダメなのよ」
私に言われたわけではなく、オバちゃんが友達に言っている。太ったオバちゃんが、
「ほんとだわ、バスが傾いたらどうしましょう」と笑う。気の置けない仲らしい。私も思わずニヤリとしてしまった。おそらくこの人たちは私を笑いで誘いたい。私もそんなふうに友人と話す癖がある。


成相寺行きバスが運行再開

そんな私の笑みをオバちゃんは見逃さなかった。
「すみませんねぇ、やかましくて」
「いえいえ。私も去年まではよく言われたものでした。太っていたんですよ。今より30キロほど」
オバちゃんがびっくりする。
「あらまあ、病気なさったの」
「いえ、病気を直したんです」
そこからダイエットと糖尿病の会話が続く。なるほど、年配になると病気も会話のきっかけになるか。

成相寺に着いた。雪かきしたばかりで足元に気を使う。まずは本堂に参拝。私の無事に感謝し、友の幸福を願う。周囲を歩けば、重要文化財の鉄湯船、撞かずの鐘などがある。鉄湯船は1920年の作で、当時は薬湯を入れて治療に使ったという。銭湯の孫としては見てよかったかもしれぬ。


成相寺本殿へ

撞かずの鐘の由来はひどい。裕福な女が鐘の建立の寄付を断った。鐘を作るときに女も見物に来た。そのとき、女が連れてきた子供が煮えたぎった坩堝に落ちてしまった。鐘ができあがると、その音が子供の鳴き声のようで哀れで恐ろしく、誰もつかなくなってしまった……。なんだこれは。「寄付を断るとひどい目にあう」という脅しとしか思えぬ。


重文・鉄湯船

さて、この成相寺にも天橋立を展望する場所がある。パノラマ展望所と弁天山展望台だ。パノラマ展望所は境内から1キロ離れたところにあり、未舗装。登りであるし、徒歩では往復30分を見込んでいたら、この日は積雪で通行止めになっていた。弁天山展望台は境内の外れにある。ここも除雪されていない。階段らしきところを歩けば膝まで雪にはまる。


弁天山展望台へ行く途中の景色

それでもせっかく来たからと登りきる。傘松公園より視界が広く、天橋立周辺の建物が小さくなり、より自然の姿に近い気がする。誰もいないから、ここで存分に股のぞきでもしてみるか。いや、ひっくり返ったら終わりだ。

数分ほど風景を眺め、深呼吸をした。息が白かった。


弁天山展望台から天橋立を観る

-…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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