第433回:引退プリンセス - 北近畿タンゴ鉄道 宮福線 1 -
普通列車で天橋立まで行かず、手前の宮津で降りた。16時41分。ここで福知山行きのたんごリレー10号を捕らえる。2分後の16時43分にタンゴディスカバリーことKTR8000形が到着する。まるっこい姿。鋭角的なタンゴエクスプローラー、KTR001形とは異なり、陸に上がったクジラのようでもある。マンガにするなら運転台窓が口だ。
たんごリレー10号、福知山行
停車時間は約4分。まずは外から検分する。2両編成の普通車のみだからすぐに終わった。1両は指定席、もう1両は自由席。幸いにも自由席が空いていた。進行方向左側の窓側の席に座る。宮福線は内陸部を走る路線で、おそらく谷間を行くだろう。車窓左手に由良川がある。本日最後に乗る未乗路線、車窓を楽しむ準備は整った。
こちらは宮福線の普通列車。レトロな外観がかわいい
さすが京都の観光列車、ヘッドレストのカバーが丹後ちりめんだな……などと思いながら、発車をぼんやりと待っていた。次第に席が埋まっていく。前方から、花束を持った和服の美女が現れた。車内がぱっと華やかになる。なにごとかと思う。きれいだなあ、と思って眺めていると、一瞬、目があった。見たところ、かなり若い。旅館の女将には見えなかった。大学生くらいだ。卒業式だろうか。なんとなく笑顔を交わす。彼女は後方へ通りすぎた。あ、和服じゃないな。柔らかい布を羽織っていただけだ。
タンゴディスカバリーのシートカバーは丹後ちりめん
美女の余韻はすぐに冷えて、ただ発車を待つばかり。そのとき、「ここ、よろしいでしょうか」と話しかけられた。私の右隣、通路側の席が開いている。ええ、どうぞ、と顔を向けたら、さっきの花束の美女だった。これは嬉しい。ドキドキする。そして緊張する。何しろ私はかなり歩き回っている。汗臭くないだろうか。服は汚れていないだろうか。たぶん、彼女が纏っている服とは値段が二桁くらい違う。
それにしても、彼女は何者だろう。とてつもなく美人である。マネージャーの姿はなさそうだから、タレントではないだろう。しかし、さっき通路を歩いているときに、何人かに会釈をしていた。相手は中年男性ばかりだ。うーむ。やはり旅館の若女将か。いや、若女将がこんな時間に花束を持って列車に乗るだろうか。忙しい時間のはずだ。すると……ああ、クラブの看板ホステスかもしれない……そうかな。
だめだ。我慢できない。聞いてしまおう。
「あの……もしかして卒業式ですか」
「ええ、そのようなものです」
「この時期に卒業式なんて珍しいですね」
「ええ、卒業といっても学校じゃなくて」
「はぁ」
「私、プリンセス天橋立だったんです」
「えっ、あ、プ、プリンセスですか」
「ええ」
「あ、もしかして、観光キャンペーンとか」
「はい」
なんと、元プリンセス天橋立と相席に!!
さっそく、スマートフォンで検索してみた。過去の新聞記事。雌雄認識の写真があった。たしかにこの女性である。なるほど、道理で美女なわけだ。いろいろな路線を旅しているけれど、こんなに美しい人と隣り合わせになるなんてめったにない。ありがたいことである。嬉しさのあまり、列車が走りだしたことすら気づかなかった。いかん、この路線は未乗である。景色を見届けたい。
しかし、美女との会話が始まっている。この流れを断ち切ってはいけない。そんなわけで、仕事人の私が目覚めている。インタビューモードになった。プリンセス天橋立の任期は1年。今日が新旧交代のセレモニーだった。彼女は地元出身ではなく大阪在住で、仕事があるたびに通っていたという。何度も乗った北近畿タンゴ鉄道の旅もしばらくお別れか。いや、応募のきっかけが、もともと天橋立が好きだったからという。これからも遊びに来るそうだ。
1年間、忙しかったでしょうと尋ねると、東日本大震災直後の就任だったせいか、「前任の人よりは忙しくはなかったようです」とのこと。彼女の受け答えはしっかりしている。大学の卒業もしたばかりだという。私が半年だけ講師を務めている講座の学生とほぼ同じ。若いけど、観光大使の仕事が彼女を心身ともに磨いたのだろう。
活躍時代の彼女の姿を探した
プリンセスに、天橋立のとっておきのお楽しみを聞いた。
「炎の架け橋です。天橋立に松明を灯すんです。きれいですよ」
7月下旬ごろのお祭りだという。天橋立両岸に300本の松明を設置して、一斉に火を灯す。もちろん夕暮れの行事で、天橋立が光の橋立になるという。それはすごい。見てみたい。いつかまた来ようか。
「でも、去年で終わりかもしれない、なんて声もあるんです」
東日本大震災の影響があるという。観光自粛ブーム、東北支援観光ブームの影響で、こちらの景気は悪いらしい。
「続けてほしいですね……もったいない。関東の人は知らない人のほうが多いかも。僕が知らないだけかもしれないけど」
話はまだまだ続く。天橋立のおすすめのおみやげを聞くと、意外なことに、ワインだという。
「私のお気に入りです。ナイヤガラという名前の白ワイン。天橋立にはワイナリーがあるんですよ。おすすめのオツマミはオイルサーディン。パリパリに焼くとおいしいんです」
むむ……私は酒も魚も苦手だ。しかし、いいですねーと相槌を打っておく。いや、痩せてから酒は飲めるようになったし、魚も焼けば大丈夫。うん。問題ない。まあ、彼女と飲む機会はないだろうけれど。
話に盛り上がりつつも、途切れ途切れに車窓を眺める。何しろ初乗りである。見ておきたい。しかし窓を見れば彼女につむじを見せる格好になる。しまった。先に窓際をおすすめすればよかった。そうすれば彼女の表情越しに車窓を眺められた……。
-…つづく
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