第48回:人類最初の芸術、アルタミラへ(5)
更新日2003/10/02
アルタミラの洞窟にもっとも近い村、サンティジャーナ・デル・マルは、実は「スペインでいちばん美しい村」としても有名である。人口は約4000人。15~17世紀に作られた石造りの家々が、当時のままの趣きある佇まいを残している、らしい。これは事前にガイドブックで調べた情報。たしかに、バス停から歩き出してすぐのところにあったバルも、いきなりむちゃむちゃキュートだった。

こいつは村の中心部はさぞかし素敵なのだろうなぁ、と思いつつも、村に背を向け、標識の示す丘を登りはじめる。今日はとにかく、なにがなんでもアルタミラ、なのだ!
標識によると、アルタミラ博物館までは1.5km。道はなだらかなカーブを描いて、丘の上へと続いている。朝9時の爽やかな空気の中をポクポクと歩くのは、なんだかすごく気持ちが良い。
視界いっぱいに、樹々の緑が拡がっている。朝霧にかすむ彼方の丘、それに連なるさらに遠くの丘、どこも優しいグリーン色。なんとなく、信州とかっぽいかんじがする。リンゴとペンションが良く似合うような、清々しさ。蓼科高原? いや、実は信州って行ったことないから、よく知らないんだわ。
道の両脇はふつうの農家で、仔ヤギが母ヤギのおっぱいを飲んでいたり、おばあさんが馬に農耕具をくくりつけていたり。もうなんちゅうの、心底ほのぼのする田舎の光景。ハイジが走り出してきても不思議じゃない雰囲気ね。と、カランカランカラーン。急に大きな音がした。振り向くと、放牧に出されたばかりの牛の群れがこちらを見ていた。

学生時代にバンドで使っていた楽器のカウベルと違い、本物のカウベルは、乾きすぎない温もりのある音を響かせる。カランカランカラーン。朝の光の中、牛の吐く息が、白く立ち昇る。どこかでニワトリが鳴いた。どこからか鳥が飛び立った。どこかの牛が鳴き、どこぞの羊が鳴いた。これだけ家畜がいるから当然ウン○の臭いもするのだけど、ぜんぜん不快ではない。私はあまりの気持ち良さにニコニコ笑いながら、再び坂を登りはじめた。傍から見ると、ただの不審人物だったかもしれない。
たった1.5kmの距離を、結局1時間近くもかけてゆっくりと歩いた。とにもかくにも、いたって心地良い。マドリードの、なんだか人間に挑戦してくるような激しい気候とは全く違って、ここの空気はふわりとしっとりと人間を柔らかく包み込んでくれる。「あぁこれは」、坂の途中で一息つきながら、私は思った。「さぞかしクロマニョン人も住みやすかっただろうなぁ」 ここカンタブリア地方には、アルタミラ以外にも、先史時代の洞窟画が多く残されている。
やがてついに、丘の上に、アルタミラ博物館が現れた。2001年にオープンした新しい博物館で、アルタミラの洞窟横にあり、洞窟画のレプリカを中心に、先史時代の文化を紹介している。

これまでもアルタミラの洞窟の見学は、保存のために1日にほんの20~30人のみ、しかも数年前には予約をしなければならないということになっていたのだが、現在は完全に見学禁止となっている。そう、本物は、見られないのだ。1万5千年も前に描かれた絵が、発見から20年余りで見られなくなるとは……。まぁ、日本の、長崎の、さらに片田舎の小学校で使う教科書にも載っているほどなのだもんなぁ。
美術館の入場料は、2.40ユーロ(約320円)。まずは、約20分のガイド付きツアーでレプリカを見学。それからはゆっくりと博物館の展示を見学して良いことになっている。

新洞窟見学 10:05分より
まず入り口で、カメラを預けさせられる。館内は全面的に撮影禁止とのこと。というわけで、内部の画像はなし。すまぬ。
この回のグループは、生後2ヶ月の赤ちゃんから、杖をついた70~80代の老夫婦まで、約20人。ガイドは水前寺清子をさらにシャープにしたような小柄な中年の女性で、髪はヴィヴィッドな紫色に染めてあった。あぁ、そんな小粋な彼女をどれほどカメラに収めたかったことか!
はじめに、入り口脇の部屋で、5分間のショートフィルムを見る。つまり、ディズニーランドのスター・ツアーズのようなかんじ。服部真湖は出てこないけど。
画面左下のデジタル時計が、紀元前16500年を示す。コチ、コチ、と、不器用に石器を作る人間。紀元前15000年、あたりは一面、吹雪、吹雪、氷の世界~(私の頭の中には井上陽水の唄声が)。やがて紀元前12000年、雪が融け、緑が広がり、人間は狩りや釣りをして豊かな日常を送っている。洞窟に絵が、描かれる。しかし紀元前11000年、入り口の土砂が崩れ、洞窟はその中に埋もれてしまった。
……それからデジタル時計は一気に進む。再び止まったのは1879年。例のマルセリーノ・サインス・デ・サウトゥオラ氏が、娘のマリアとともに洞窟内へと入るシーン。ほらほら、マリアが、なにかを発見した。ついに叫ぶぞ。私は耳を澄ました。「ミラ(見て)、パパ!」 って、うっそーん。「アルタ(上)、ミラ(見て)!」じゃなかったの?
考えているうちに時計は1965年になり、世界中からツーリストがどわーっと詰め掛ける当時のニュース映像が。やがて1982年、新聞が「アルタミラ、保存のために見学者を年間8000人に制限」と大きく報道。そして2001年、レプリカの「新洞窟」誕生と相成るわけだ。
フィルムが終わると、入ってきたのと反対側のドアが開けられる。つまり、ディズニーランドのホーンテッド・マンションのようなかんじね。ガイドのパープル・チーターが赤ちゃんを覗き込み、「よしよし、よく良い子にしてたわね~」と微笑みつつ、一行を奥へと導く。開け放たれたドアから、すうっと冷たい風がやってきて、足元を吹き抜けていく。いよいよだ。なんとなく、鳥肌が立った。
第49回:人類最初の芸術、アルタミラへ(6)
