■くらり、スペイン~イベリア半島ふらりジカタビ、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく! 著書『カナ式ラテン生活』。


■移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻(連載完了分)

■イベリア半島ふらりジカタビ、の巻
第1回:旅立ち、0キロメートル地点にて
第2回:移動遊園地で、命を惜しむ
第3回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(1)
第4回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(2)
第5回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(3)
第6回:パエージャ発祥の地、浜名な湖へ(1)
第7回:パエージャ発祥の地、浜名な湖へ(2)
第8回:パエージャ発祥の地、浜名な湖へ(3)

■更新予定日:毎週木曜日




第9回:パエージャ発祥の地、浜名な湖へ(4)

更新日2002/12/19


バスがバレンシア市内に着いたら、もう4時近くになっていた。せっかくだから旧市街を散策するべと地図を片手に歩いていると、わ、街角にいきなりどでかい門が現れた。

スペイン第三の都市バレンシアは、なんと19世紀の後半まで、中世そのままに町全体が城壁に囲まれていたという。これは、城壁の取り壊し後も残ったふたつの門のうちのひとつで、15世紀、応仁の乱あたりに作られたということ。塔のあちこちにそばかすのように散る傷は、ひょっとしたらスペイン内戦中のものだろうか? 

第二次世界大戦の直前、スペインでは市民を二分しての激しいの内戦が行われていた。一方はフランコ将軍率いる国民戦線、もう一方はヘミングウェイなども参加した人民戦線。バレンシアは、最終的に勝利を収めたフランコ軍に対し、最後まで粘り強く戦い続けた町としても知られているのだ。

門をくぐり、古いたたずまいの石畳をぽてぽて歩く。ふと目を上げると、"SUSHI-CRU"という看板が。スシ・クルー? あ、そういえば、ダンナからそういう店があると聞いたことがあった。のれん、はないのでガラス張りのドアを開けると、短髪の女性ふたりが迎えてくれた。

右が、オーナーのハイケ。ドイツのミュンヘン近郊の村出身とか。どうりで、バイエルン・ミュンヘンのカーン選手に似ているような? んでも、顔のサイズは1/5くらいだけどね。しかも、美人。「あの、お米を食べたいのだけど、お寿司お願いできます?」「うーん、もう閉店なのよね。お寿司は無理だけど、コーヒーでもどう?」

ハイケはドイツのデュッセルドルフで、寿司に出会った。デュッセルドルフは地方都市ながら駐在員が多く、ヨーロッパでいちばん日本人比率が高いことで海外在住者には有名な町である。ここにはヨーロッパ最大の日本人学校、日本の書籍店、旅行店、美容院、なんとレンタルビデオ店、カラオケスナック、パチンコ店まであるという。ハイケは日本人街の和食店ではじめて寿司を口にし、あまりの美味しさにすっかり感動して、滞在中は週のうち4日も5日も寿司を食べていたらしい。

それから仕事でスペインのイビサ、地中海に浮かぶリゾート島に来たのをきっかけにスペイン移住を考えるようになり、いろいろ勉強した後、2000年にバレンシアで寿司バーをオープンした。「だって大好きなお寿司を食べようと思っても、バレンシアにはなかったのよね。じゃあ自分で作っちゃおう、って思ったの。ただの食いしん坊なのよ」

カーンに似た、食いしん坊の、実は元スチュワーデスのハイケは、別れるときに携帯電話の番号を書きながらこう言った。「もしバスに乗り遅れたりしたら、電話してね。今夜はうちに泊まるといいわ。今日は用事があって最後まで付き合えないのが残念。きっとまた来てね。バレンシアを案内するわ。それに、私の作ったお寿司も食べてみてね!」 両頬にチュウして、バイバイ。

次にバレンシアへ来るときは、寿司とロブスターごはんを食べねばならない。お金に余裕があればウナギも食べたい。腹を減らしてこなきゃなぁ。

散策再開。13世紀から18世紀にかけて作られたためさまざまな建築様式がごちゃごちゃに混ざる大きなカテドラルや、ガウディと同じ時期に作られた不思議なモデルニスモ建築のメルカド(マーケット)などを見ながら、ぽたぽたぽた。旧市街なんて半径600メートルほどの円におさまる広さだから、ぷらぷら歩いていても疲れる前に町の端へ着いてしまう。バルに入り、目の前で絞ってくれたバレンシア・オレンジ100%のジュースを飲み、今度は地下鉄でバスターミナルへ。

地下鉄車両のドアは手動で、レバーを上げないと開かない。これはマドリーと同じだから悩まなかったけど、改札を出るところで慌ててしまった。見たところ、切符を入れないと自動改札の扉が開かないらしいのだ。マドリーでは、改札を出るときはなにもなくてスルーパス。日本では、どうだったっけな? もうすっかり忘れてしもうたよ。

とにかく、そんなわけでマドリーの地下鉄に慣れていた私は、ふだん切符をぞんざいに扱っている。もともとよく失くすうえに、だ。新宿‐池袋間の切符を失くしたとき、駅員さんに「みんなそうやって言うんだよなぁ。本当はもっと遠くから乗ってるでしょ?」と詰問されたことまで思い出して長年忘れていた悔し涙を流しかかったとき、ようやく尻ポケットからやや湿り気味になっている切符を発見。

ホッとして自動改札に切符を入れたのだが、それでも扉は開いてくれない。後ろにはすでに列ができている。再びパニックになりかけたとき、肩を叩かれた。「それ、切符取らないと扉開かないわよー」 あ、なるほど。切符を入れるだけじゃなくて、取らなきゃいけないのね。地下鉄ひとつ乗るのも、この騒ぎ。これぞ、旅の醍醐味なのだけどね。

19時30分、バスはマドリーに向けて出発。とたんに、強い雨になった。風も強いらしく、木がごうごう揺れている。あぁそうだ、嵐って言ってたもんね。間に合ってよかった。そのせいでかどいうか、バスは予定時間から30分も遅れてマドリーに到着。だいたい明らかに遅れ気味だったのに、途中で25分も休憩を取った運転手さんに、完敗。

ちなみに翌日、車内にマフラーを忘れたことに気づいてバス営業所へ電話すると、怪訝な声で「それで?」と訊き返されたあと、「んなもなぁありません」とそっけない答え。友人曰く、スペインで忘れ物が出てくるのを期待する方が悪いとのこと。置き忘れたマフラーやサングラス、果ては財布までがかなりの確率で届けられている日本は、本当に世界に誇れる良心的な国なのでありました。誇れるって、ホント。

その翌週から気温がぐっと下がったのだけど、去年買ったばかりの白いお気に入りのマフラーは、いまごろ誰を温めてあげているのだろう? いいさ、誰かが喜んでくれているなら、いいんだ。

 

 

第10回:奇才の故郷に、ごめんくさーい(1)