第27回:伝説の恋人、だけじゃない町(1)
更新日2003/05/01
春だ。猫もプレーリードッグも悶々とする季節、らしい。人間だって、地面を転がったり狂おしく鳴いたり後肢を持ち上げながらうずくまったりはしないものの、それでもなんとなく、こころときめいたりする。キラキラと輝くような陽射しに、なにか良いことありそな予感、とかなんとか。日本で年度替わりとなる4月は新たな出会いも多いし、やっぱり春は恋の季節だね、うん。
ということで、今回は恋の町に出掛けることにした。
日本では恋の町といえば、石原裕次郎も唄った札幌だろう。銘菓「白い恋人」もあるし。あぁあの白地にスカイブルーでハートとリボンが描かれた缶! 宝物箱にしてたなぁ。っつっても、入ってたのは兄貴がくれたパチンコの景品の、色ガラスのブローチとかだったけど。もちろん、まだ恋を知らなかったころの話である。『キャンディ・キャンディ』を読んで、恋人っちゅうもんはきっとカタカナの名前なのだと思っていた、あのころ。……バカ?
さてスペインで恋人の町といえば、アラゴン州南部にある小さな町、テルエルだ。

アラゴン州は、バルセロナを中心とするカタルーニャ州と関係が深い。12世紀にはバルセロナ伯が当時2歳だったアラゴンの王女ペトロニカと結婚し(恋じゃねぇなぁ!)、アラゴン=カタルーニャ連合王国が成立。この連合王国が現在のアラゴン州とその東のカタルーニャ州、そして南のバレンシア州、地中海のバレアレス諸島、さらにはサルディニア島、シチリア島、南イタリア、ギリシャの一部まで支配したのは、バルセロナの回で紹介した通り。
テルエルも、この一帯の他の町と同様に、さまざまな民族の支配を受けてきている。まず紀元前8世紀からケルト人がやってきて、先住のイベリア人と融合してケルト・イベリア族になる。そんでフェニキア人、ローマ人、ゲルマン民族大移動のあおりで西ゴート族ときて、8世紀にイスラム教徒がやってくる。そして時代は歴史上有名なレコンキスタとなるのだ。
このレコンキスタは「国土回復運動」と訳されているけど、もともと国なんて誰のもんだったってわけでもないべさ、と思う私には、直訳して「再征服」と呼んだ方がピンとくる。取り返す、なんて、ちょっとおこがましいんじゃあないかしら。なんていう私の思惑とは当然ながらまったく関係なく、テルエルは1172年、日本では平安時代の末期に、キリスト教のアラゴン=カタルーニャ連合王国の勢力下に入った。
このときの王は、かつて2歳で結婚したペトロニカの息子。当時はイスラム教徒の方が建築や学問などでキリスト教徒とは較べものにならないほど高い基準を有していたという現実によって、テルエルでは、レコンキスタ後も多くのイスラム教徒が平和的に住み続けたという。15世紀に、陽の沈まぬ帝国スペインがガチガチのカトリック教国となって異教徒を追放してしまうまで。
そんな彼ら、つまりキリスト教徒の支配下に置かれたイスラム教徒のことを、ムデハルと呼ぶ。だから彼らの建築スタイルは、ムデハル様式と呼ばれている。特徴は、偶像崇拝を厳しく禁じるイスラム教(アッラーとかマホメットの像や絵画って見たことないよね?)らしく、幾何学模様や馬蹄形などのアーチ、アラビア文字を図案化したアラベスク模様など、とにかく抽象的なデザインであること。スペイン特産の色彩豊かなタイルで装飾をしていることも多い。
で、なんでこうくどくど説明をしたかというと、テルエルを中心とするアラゴンのムデハル様式建築物は、世界遺産なのだ。まただよ、おい。……迷子の予感。
というわけで、今回の目的地テルエルは人口約3万の小さな町でありながら、歴史的には『多くの集団が支配権をかけて争ってきた町』および『世界遺産のムデハル様式建築がある町』であり、スペイン人の一般的なイメージとしては『伝説の恋人の町』および『良質の生ハムの産地』であり、行政上ではアラゴン自治州テルエル県の県都となっている。
この県都というところにもまた、ちょっと面白い話がある。
スペインには17の自治州があり、それぞれに1~9つ、全部で50の県があるのだが、テルエルは県都としてもっとも小さい町だというのだ。日本にたとえるなら、自治州が東北や九州などの地域名、県がそのまま都道府県に相当するとして、山口県山口市というところか。といっても山口市は人口約14万、比べものにならないほど大きいけどね。そしてテルエルは、マドリードからの直通バスがない唯一の県都とも言われている。

こんな町を経由していく。丘の上には11世紀の古い城砦
へぇー、と感心してばかりいるわけには、いかない。よってスペイン最小の県都テルエルを目指して朝8時半にマドリードを出たバスは、直線距離なら3時間もあれば着きそうな距離を、山を迂回して県道に入り、集落と呼びたいほどの小さな町をまわりながらのんびりと進み、太陽も高くなった午後1時になってようやく、バスターミナルに到着したのだった。
前日にツーリスト・インフォメーションに問い合わせたところ、『伝説の恋人』に会えるのは1時50分までとなっている。急げ! 私は町に走りこみ、案の定、トレドと同じく「世界遺産あり旧市街」に付きものの迷子になってしまい、お年寄り集団から品の良い奥様から洟垂れ小僧にまで「あの『恋人』はどこー?」と訊いてまわり、最後にようやく、ベビーカーを押して散歩中だった優しいパパの案内で、目的地にたどり着けたのだった。
0.6ユーロ(約80円)を払い、重い木の扉を開けて、暗い堂内へと進む。
第28回:伝説の恋人、だけじゃない町(2)
