1時にパンプローナのバスターミナルを出る。最初に目指すはツーリスト・インフォメーション。そこにはサン・フェルミン祭、別名「牛追い祭り」の参加要項が置いてあるはずだ。6月中旬にしてすでに気温37度、体温と同じくらいの空気の中を、しきりに水を飲みながら歩く。暑いのなんのって。パンプローナの緯度は、だいたい札幌と同じくらいなのだが。この日ばかりは、北大西洋海流と偏西風(註:ヨーロッパの気候が緯度に比べて温暖な原因である)が恨めしい。
炎天下、曲がりくねった勾配のある細い道がぐにゃぐにゃと絡まる「旧市街トラップ」にすっかりはまってしまう。すれ違うあらゆるひとに道を尋ねるも、これまた不確か極まりなく、いま来た方向に戻れと言われることも数知れず。12人目にしてアメリカ人旅行客が「オウ、それならワタシ、いまソコからキマーシタ」とようやく正解を教えてくれ、こいつはまるでRPGだぜ次はボスキャラと対決とかじゃなかろうなと痛む足を引きずりつつツーリスト・インフォメーションに着いたときには、午前の閉館時間直前、1時50分となっていた。
まず、パンプローナの地図をもらう。「えっといま私たちはどこにいますか?」と外国語らしい表現で確認してみると、なんとバスターミナルからの最短距離は1kmもない場所ではないか。ウソーン、冗談やろう? ドッと、汗が噴き出した。
いや、へこたれている場合じゃない。とにもかくにも、「ジカタビ」読者のみなさんに、牛追い祭りの参加要項を入手しなければ。「あの、エンシエロ(牛追い)の申し込み書が欲しいのですが」 私は気を取り直して、受付の女性に頼んだ。だが彼女は首を振ったね。「ありません」「へ?」「申し込み書は、ないですよ」
焦る。それじゃ、誰もが気軽に「牛に追われてパンプロナ」と楽しむわけにはいかないってことか? そんならわらしはなんのために今日、片道5時間弱もバスに揺られてここまで来て、炎天下のなか旧市街をさまよい歩いてここへたどり着いたのだか。ひょっとしたらこれがこのステージ最後のボスキャラか? 負けるな、私。ここは食い下がるべし。
「エンシエロの申し込み方法を知りたいのです。外国人も参加できると聞いたのです。用紙はないのですか?」 ぎこちなくことばを継ぐと、受付の女性があぁ! と合点がいった表情をして奥へ引っ込み、一枚のパンフレットを手に戻ってきた。「ええ、外国人でも、誰でも参加できますよ」「それはなるほど了解しました。いや、だから、その申し込み方法を知りたいんですが」「申し込みというのはありません」「?」「当日の朝7時半までに現地集合。それだけです」
2時、タイムアップ。シャッターの下りる音を背に役場前の広場へ出て、ベンチに腰掛けた。

3階建の、とてもキュートな庁舎
パンフレットを広げてみる。14世紀から始まったと言われているエンシエロは、毎年7月7日から14日の、朝8時にスタートする。コースは町外れの柵から闘牛場まで、旧市街のメインストリートを通る全長846メートル。所要時間は約3分半だが、1959年には30分という記録がある。1924年から1997年までの間に14人の死者が出ており、これまでの怪我人は200人を超える。
エンシエロには18歳以上で健康ならば誰でも参加可能だが、以下のような約束事がある。(一部を抜粋して意訳)
・コースは8つのポイントに分けられており、ひとりが走れるのはその一部のみ、最高で2分間まで。
・体調が万全であること。
・安全のため、走行に適した服と靴を装着すること。
・カメラやリュックなどを含む持ち物は携帯禁止。
・闘牛の牛が走り出す前から、コースの隅や建物の陰や死角で身を守ってはいけない。
・他の参加者の前を横切ったりしてはいけない。
・いかなる場合も絶対に、牛をけしかけたり、注意を引いたりしてはならない。参加者は、牛に触れてはならない。
・参加者は、いざという場合の逃げ場所を予め確認しておくこと。突然立ち止まったりして全体の走行を妨害しないように。
・闘牛場に着いたら、参加者はただちに柵の後ろに退避し、次にやってくるひとたちへスペースを作ること。
……
うーん、「命懸け」ってかんじが、ひしひしと伝わってくるではないか。「牛をけしかけたり」「牛に触れたり」してはならないとは、知らなかった。たしかに重量が500kg弱あり、凶器のような角を持ち、人間に馴れないように馴れないようにと慎重に闘牛牧場で飼育されてきた猛牛だから、訓練を積んだプロの闘牛士でもない素人ならばこれくらい注意を払わないと危なくて仕方ないだろう。いや、払うべきは注意ではなく、敬意、なのかもしれないな。
……それにしても、暑い。フラリと立ち上がり、通りがかったレストランに入る。まずはジョッキで、クララ(ビールを甘い炭酸飲料で割ったもの)を1杯。それからナバラ州の名物料理、「鱒の生ハム詰」を頼もうとして、ふとさっき考えていた「牛への敬意」が頭をよぎり、「牛テール煮込み」に変更する。すでに空いていたジョッキも、おかわり。
いかにも自家製といった雰囲気で、浅い土鍋にテールのぶつ切りが、でーんと盛られて出てくる。赤ワインで煮てあって、もんのすごーく美味しい。もちろん、お肉はトロトロ。なんてったって、toro(トロ)は「牛、闘牛」を意味するのだからして。torotoro。なんつって、世界丸ごとHOWマッチ!((C)大橋巨泉)
調子に乗って、せっかくだからと地元の赤ワインも1杯所望し、うーんやはり良いねと舌鼓を打ち、汗でも拭くかとバッグ(ちなみに「ほぼ日永久紙袋」)に手を突っ込んで、ハッとした。ない。ないないない、愛用の「長崎おくんち(祭り)・魚の町特製手拭い」が入ったポーチが、ない。あ、バス降りるとき、忘れてきたんだ……。すっかり酔いの引っ込んだ頭で支払いを済ませ、再び炎天下に出る。やおら、バスターミナルへと走りだした。