第3回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(1)
更新日2002/11/07
行ってみたい国は、ギリシャとイタリア。数千年雨ざらしにされ廃墟と化した遺跡に、立ってみたい。それが、長年の夢である。小学校の音楽の時間に歌った、『勇気一つを友にして』という曲が忘れられない。迷宮に幽閉されたギリシャのイカロスが、鳥の羽根をロウで固めて飛び立つ、という歌詞だった。1番で雲より高く、2番で太陽を目指し、どんどん飛ぶのだ。そしてあまり太陽へ近づきすぎたため、3番でロウが溶けて墜落死。あぁもう、飛びすぎ! ……とにかく、そんな神話的光景ゆかりの場所に、立ってみたい。
スペインからだと、日本からよりはだいぶ近い両国だけど、やっぱり時間もかかるし、お金もかかる。しばらくは無理そうだなぁと思っていたところに、面白い話を聞いた。スペインにも、その時代の遺跡があるらしいのだ。そうだった、歴史でも習ったローマ対カルタゴのポエニ戦争で活躍したハンニバルは、スペイン総督のカルタゴ人だったのだ。なんか、有名な国の近所で、良かった。
スペインは、地中海沿岸部を中心に古代フェニキア、のちカルタゴ領となり、その後ローマ帝国に支配される。紀元前12世紀くらいから紀元5世紀くらい、かなりずっと昔のお話。なのに、当時の遺跡が現在まで残る町が、いくつかある。そのうち、今回の目的地として選んだのは、エストレマドゥラ州のメリダという町。

スペインの佐賀県。ごく乱暴に言うと、エストレマドゥラはそんなイメージの州だ。スペインのガイドブックでも、この州に割かれるページはかなり少ない。日本で発売しているのには、載っていないことも多い。要するに、地味なんである。
とはいえ、魅力のない州かというと、そんなことはぜんぜんない。城郭で囲まれたカセレスの町は中世のままの姿でそっくり残っているらしいし、静かな郊外にはスペインが世界でいちばん輝いていた時代に神聖ローマ帝国皇帝カルロス五世が晩年を送った修道院もある。そして州都メリダには、ローマ時代の遺跡の数々が、イタリア人もびっくりするくらいに(ここは想定)良い状態で残っているというのだ。
ちなみにローマ時代というと、日本では弥生時代。なればメリダの遺跡群は、だいたい吉野ヶ里遺跡と同じくらいに作られたことになる。ほら、「エストレマドゥラ=佐賀」っぽくなってきた。ただ大きく違うのは、吉野ヶ里遺跡が十数年前に発掘されたのに対して、メリダのローマ遺跡は、地元でふつうに使われている点だろう。いまでも毎年夏には、円形劇場で演劇フェスティバルが開催されているらしい。
ついでに言うと、エストレマドゥラは、貧しい地方でもある。平均所得では、スペイン全州のリストの下の方をいつもウロウロしている。そこも、佐賀と似ているといえば、似ている。あまりに貧しいので、かつて若者たちは新大陸に飛び出し、そこで現地の国に攻め込んだ。そう、メキシコのアステカ王国を征服したコルテス、ペルーのインカ帝国を滅ぼしたピサロは、ともにこの州の出身なのだ。
ローマ遺跡。中世の城郭の町。コンキスタドーレス(征服者)の故郷。現在という時間からすっぽりと抜け落ちてしまったかのようなエストレマドゥラへ、行ってみよう。そう決めてしみじみと茶をすすっていると、友人から電話が入る。渡したいものがあるんだけど、今週の予定はどうなってる、と。
「あ、今週はね、晴れたらメリダ行くんよ」
「あっそう。メリダ、良いよ。私は好きだったな。そうだ、『ジョン・レノン』っていう名前の通りがあるんだよ、あそこ。知ってた?」
は? ジョン・レノン?
ローマ遺跡の町で、ビートルズ?
こちらのわりと詳細なガイドブックを慌ててひっくり返してみたが、載っていない。でも彼女がそう言うのだから、きっとあるのだろう。なんだか歴史の底に沈んでいた町に、いきなり20世紀で戦後な風がやってきた、ヤァ!ヤァ!ヤァ!ってかんじ。これは、探さねばなるまいよ。
というわけで、第二ジカタビの行き先はメリダに決定。バス会社のサイトで確認すると、マドリード‐メリダ間の所要時間は、特急で片道4時間、普通で5時間とのこと。しかし発着バスターミナルは、山手線でいうと浜松町あたりにある。んでもって我が家は、池袋から乗り換えてのだいたい東武東上線の成増あたりになるので、バスターミナルまで片道1時間くらいを加算しなければならない。としても、まぁ日帰りできる距離ではある。
あいにく10月はスペイン各地で集中豪雨や洪水、暴風雨、突然の雪、と荒れ模様の天気が続く。デジカメと腰痛防止のコルセットと水を1本かばんに入れて、準備はすでに完了。次の晴れた日、出かけるとしよう。
第4回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(2)
