第23回:ピカソさん、戦争です(2)
更新日2003/04/03
ピカソの『ゲルニカ』の、絵ハガキを撮ってみた。そういえばこの絵は、美術の教科書にも載ってたなぁ。そのときは別に、なんとも思わなかった。でも本物を目の前にしたとき、どっかーんと衝撃を受けた。本物のサイズは349.4cm×776.6cm、絵葉書のサイズの50倍、畳で換算するなら16畳以上になる。こいつはでかい、でしょ? なんでも本物を体験しなきゃ、と言うつもりはないけれど、このでかさは体験してみると本当にすごい。
なんでこんな尋常じゃないサイズなのかというと、この絵がもともと、建物の壁画として描かれたものだからである。ときは1937年、ところは花の都パリの、万国博覧会。そこでスペイン館の壁一面を覆っていたのが、この絵だったという。どうしてそうなったかというとですな、ちょいとスペインの歴史を紐解かなければなりませぬ。
1929年の世界恐慌からはじめよう。昭和では4年になる。アメリカで株価が暴落して、どこもかしこもみんな一斉に大不況。なんせ世界が恐慌したってくらいだ、よほどすごかったのだろう。スペインも財政危機に陥り、政治もどったんばったんおおわらわ。結局、31年の統一地方議会選挙の結果、共和制政府が成立すえう。わーい新時代だ新時代。とはいえ、世界はまだまだ恐慌中。新体制になっていきなり経済が上向くわけもなく、そうこうするうち共和制に反対していたお金持ちや土地持ちや教会や軍部が再び力を盛り返すわ、「だいたい政府なんてのがいらねぇんだよォ!」とアナーキストが反乱を起こすわ、どうも嵐の気配。
1936年の総選挙で人民戦線(左派)が勝ち、これにてようやく一段落。と思いきや、納得いかないフランコ将軍が蜂起し、これを例のお金持ちや土地持ちや教会や軍部が支持する。かくしてここに、フランコ将軍率いる国民戦線vs人民戦線の、壮絶な内戦がはじまったのだった。
スペイン市民の間では、ご近所さんや家族が両軍に分かれての血で血を洗うような戦いとなる。しかもよその国も放っといてはくれない。たとえば人民戦線には、国際義勇兵としてジョージ・オーウェルが参加して『カタロニア賛歌』を書き、同じくアーネスト・ヘミングウェイが『誰がために鐘はなる』を書く。まぁそれは良い。でもそのうち1922年にできたばっかのソヴィエト連邦の共産党などがわいわい関わってきて、仕舞にゃ内部分裂を起こす始末。それに嫌気がさして、たくさんのひとが国際義勇兵をやめたという。
一方でフランコの国民戦線には、当時ヒットラーが率いていたドイツと、同じくムッソリーニのイタリアが力を貸し……って、まんま、第二次世界大戦やん! そう、そうなのだ。なぜに1936年から3年間続いたスペイン内戦が凄絶を極めたか。それは、「わーい良いチャンスだラッキー、ちょうど僕とこも戦争になりそうだから、ここでいろいろ試してみようっと」と、内戦を利用した奴らがいたからなのである。んなこたぁ、年表を見ただけでも明らかだ。スペイン内戦の終わった39年、第二次世界大戦がはじまっている。
そんな悲劇の内戦でも、もっとも悲惨なできごとだったのが、ピカソの描いた『ゲルニカ』である。絵画を鑑賞する前にあまりいろいろ知識を詰め込むのもつまらないと思うので、ここでは、ゲルニカというのは、ヒロシマ・ナガサキと同様に、実在する町の名前であることだけを書いておく。
そして話は冒頭に戻る。内戦真っ盛りの1937年、共和国政府からパリ万国博覧会のスペイン館の壁画を依頼されていたピカソは、ゲルニカの悲劇を新聞で知り、これを描くことに決めたのだった。悲劇が起きたのが4月26日。ピカソは5月1日にはもう習作の製作を開始し、6日間をこの作業に捧げている。
これらの習作は、『ゲルニカ』とともにソフィア王妃芸術センターに展示されているのだが、ちょっと、すごい。最終的に完成した『ゲルニカ』はモノトーンだが、習作では鮮やかな色が用いられていたりもする。ディテールをより描き込んであることもある。オイオイみんなひとつの作品として十分に通用するじゃないか、と、私は思った。んでも、これらが色を失い、ディテールを失いつつひとつにまとめあげられたってのが、すごいことなんだろうなぁ。たとえば『ゲルニカ』の死んだ子どもを抱く母親は、誰のようにも見えるし。

習作の一部
やがて本格的な製作に入ったピカソは、この大作を、翌6月4日には完成させている。こうして『ゲルニカ』は、同じくスペイン人の画家ジョアン・ミロの作品や、ファシストにより暗殺された詩人ガルシア・ロルカの写真などとともに、パリ万国博覧会のスペイン館に展示された。作品は、会の終了後には壁から剥がされ、スペイン亡命者への支援金を集めるためにヨーロッパ各国、さらにはアメリカまで輸送されたという。なんとヨーロッパ-アメリカ間を、少なくとも3往復したらしい。そのため痛みがひどく、1981年にスペインに戻されてからは、国外持ち出し厳禁となっている。
というわけで、いま『ゲルニカ』を鑑賞するためには、マドリードのソフィア王妃芸術センターを訪れるしかない。でも、もしスペインまで旅行する機会があれば、わざわざ予定に組み込む価値はあると思う。この現代美術館には、ピカソの他の作品、たとえば青の時代のものや晩年の邪気ないデッサンもあるし、スペインがピカソと並んで世界に誇る20世紀の巨匠ジョアン・ミロとサルバドール・ダリの作品も数多く展示されている。
それにやはりなんといっても、ピカソが思いを込めて描き上げた16畳以上もある世紀の大作を、ガラス越しなんてケチなこと言わずに、400円足らず(曜日によってはタダ)で好きなだけ鑑賞できるのである。訪れる価値はありますぜ、たぶん、本当に。
あまりひとになにかを薦めることはしないように心掛けている私だけど、『ゲルニカ』はぜひ見てほしい、かな。こんな時期だからこそ、と言うのは蛇足なり。あぁピカソはそげな余計なことは言わんで、いちばん大切なことばちゃんと描いとるっちゃんねぇ。……また、見に来よう。大切なことを、忘れないために。
ソフィア王妃芸術センター
Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia
C/Santa Isabel, 52
10:00~21:00(日曜は14:30まで、火曜休館)
土曜の14:30以降と日曜は入場無料
第24回:ゲルニカという町の意味(1)
