絶品の白ワインとムール貝により一夜でガリシアの熱烈なファンとなった私は、翌朝、さらに流出重油の汚染が深刻だというカルノタの海岸(地図中の2)へと向かった。

この日は朝から細い雨が降っていたが、サンティアゴ・デ・コンポステラで高速道路を降り、曲がりくねった県道を西へ西へと走るうち、フロントガラスをしのつくような雨が激しく叩きだした。
カルノタに到着すると、もう昼前になっている。1軒しか見つからなかった宿屋のレストランに入り、カルド・ガジェゴ(ガリシア風スープ)を注文。しばらくすると、頭がすっぽり入りそうな大きさの鉢がどんと出てきた。中身は、ジャガイモやキャベツに似た地元の野菜が煮込まれたスープ。寒かったので大皿に4杯もおかわりして食べて鉢を空っぽにしてアミーガを驚かせたところで、2皿めが出てきた。肩幅くらいある平皿に山と盛られた肉の髄、腸詰、ヒヨコ豆。そうか、あのスープのだしはこれからとってたのね。っていうか、あのスープは前菜だったのね……。さすがに食べきれなかったが、寒さに縮こまっていた体が、芯から温まった。
レストランには回収作業に関わるひとの姿も多くいた。たまたまトイレで、迷彩服を着たスペイン軍の女性と一緒になったので、話を聞いてみた。
「今週はずっとここでやってるわ。先週は別のところだったし、その前週はまた他のところ。もう1ヶ月以上この調子よ。今日は雨でたいへん? とんでもない、一昨日までに比べたら今日はだんっぜん楽な方。今週は、昨日晴れるまでずっと雨と風がひどくて、気温も低くて、本当にたいへんだったの。うーん、いつまで続くかって言われても……。私にはわからないわ。私の上官も、誰も、わからないのよね。でも私は、上官の命令がある限り、この作業を続けなくちゃいけない。もちろん、早く終わって欲しいけど……」
レストランを出ると、雨は小降りになっていた。県道に戻り、とある浜辺に降りる。ここは被害が比較的少ないのか、ボランティアは作業していない。といっても、海岸線に対して圧倒的に人手が足りないせいであり、やはり重油で汚染されている。昨日見た海岸と同じように、重油塊の黒々とした点が、砂浜に波のかたちを幾重にも描く。海草も、真っ黒でヌルヌル光る得体の知れない物体になり、息絶えている。ほかにもドーナツ形の、やはり重油でどろっとしたものが散在している。アミーガに聞くと、たぶんイソギンチャクか、あるいはウニかもね、との答え。ウニ、お前だったのか。愕然とする。あぁ。
そして浜辺をふらふら歩くうち、砂に埋もれていた鳥の死骸を見つけてしまった。

アミーガがすぐに、こういう場合の連絡先に電話を入れる。ちょうど監視中だった男女が通りすがり、後を引き受けてくれた。鳥は、調査にまわされるのだろう。彼らは「今朝もここらへんだけで2羽回収したんだけどね。ありがとう」と言って去っていった。
私なんか今回ほんのちょっと滞在なのに、これだけ多くの重油に汚染された鳥を見た。いったいいま、どれだけの鳥が、魚が、貝が、生物が、いきなり流れてきた重油で死んでいっているんだろう。本当に、気が遠くなる思い。あぁ。
そのとき、それまでしばらく小康状態を保っていた天候が崩れ、激しく雨が降りだした。突風にあおられ、フードを被った顔にも容赦なく叩きつけてくる冷たい雨は、波しぶきと混じって少し塩の味がする。打ち寄せる波頭は、重油を含んで濁った色合い。波しぶきにも、重油が含まれているのだろうか? 「今回流出した重油は硫黄の含有量が極めて高いので、回収作業にあたるひとはマスクの装着を欠かさないように」というニュースを思い出しながら、車へ駆けた。ほんの数分でぐっしょり水分を吸って冷たくなった防寒コートを、車内で脱ぐ。寒くて、暖房を入れる。たいへんだ。これは本当に、たいへんだ。
次の浜辺に降りたときは、雨はいっそう激しさを増していた。雨具の準備をしていなかった私は車に残り、アミーガが雨合羽をかぶって、デジタルカメラを手に車を降りる。と、すぐに戻ってきた。
「ボランティアのひとたち、もう動く気力がないってかんじで浜辺に座り込んでるの。ふたりずつ背中合わせになって、へたりこんでる。もう本当に疲れ果てたってかんじで。私、見てられなかった。とてもじゃないけど写真なんか撮れなかったよ。……本当、悲惨」
最後に降りた海岸では、作業の様子を、遠くから見ることができた。

一面真っ黒な海岸で、何十人ものひとが、白い作業着を腰の辺りまで黒く染めて働いている。その異様な光景に、私は、「核のあと」を想像してしまった。たしか放射能防護服も、白ではなかっただろうか。そして、口にマスク。あるいはこの光景全体からどうしようもなく漂ってくる、絶望感。後日ニュースで見てしったのだが、彼らが岩にこびりついた重油をこそぎ落とすのに使っている道具は、貝殻なのだ。そして重油をバケツに入れ、これを数十人がバケツリレーで岸の奥へと運び出す。これが、いまとり得る最良の方法なのだという。なんて根気の要る作業だろうか。
しかも波は、潮の干満とともに新たに打ち寄せる。数百人が数日がかりできれいにした海岸が、海風の気まぐれで、翌朝には再び真っ黒に染められる。そして、この繰り返しはいつ終わるかわからないのだ。これほど人間を消耗させる労働が、他にあるだろうか?
旅の最後になって、私はまたしても言葉を失ってしまった。
空港へ向かう車の中、でもアミーガから、ちょっと救いとなる話を聞いた。重油を分解するバクテリア、というのが、なんと自然中に何種類か存在するのだという。ナホトカ号のときにも、湾岸戦争のペルシャ湾汚染のときにも、バクテリアによる分解がみられていて、その後研究もなされているのだとか。忘れがちだけど、もともと地中深くにあったとはいえ自然のものである重油には、それを分解する相方だっていてるのだ。もちろん、こんな莫大な量のままだとそう分解もできないだろうから、人間が環境を(これ以上)壊さずにできるだけの重油を回収しておくのは欠かせない。でも、良かったー。重油が自然のもので、まだ、良かった。
ビゴの空港でチェックインを済ませたあと、ひとつしかないセルフサービスのカフェテリアで、白ワインのハーフボトルを2本を飲んだ。つまみはもちろん、ムール貝。こんなところの、おそらく数時間前からマリネにしてあるムール貝だって、美味しかった。
ガリシア、素晴らしい。また行く、必ず行く、だって惚れたんだから。降り続く雨の膜を割って飛び立った飛行機は、10時40分、マドリードに着いた。迎えに来ているダンナに、バルで買ったアルバリーニョのワインをあげよう。これで、ガリシアのファンがもうひとり増えるはずだ。
※アミーガによるレポート
「ガリシア沖重油タンカー沈没事故」
第19回:世界遺産で迷子にならない(1)