気がつけばいつも昼食タイム。2時~5時までなんもかんも閉まってしまうので、本当に飯を食うくらいしかすることがなくなるのだ。この時点ですでにビール3杯、名物の魚卵料理2腹分を胃袋に収めていたが、コリアの町を案内してくれたビスコチョ氏おすすめのバルを覗いてみる。
カウンターに、テーブル席が6つ、うち3つは寄せられておじさん7人が囲んでいる。壁のメニューは手書きで、カウンターの中で立ち働くのは母と息子とおぼしきふたり。と、7人の「おじさん友の会」のひとりが立ち上がってカウンターに入り、勝手に生ビールを注ぎ出した。良いぞ、地元の匂いがプンプンする。「ちわー、ビールと、なんか美味いもん頼んます! 暑いっすねぇ!」 ごく元気良く、調子良く、店へ入る。
この町の名物料理ということでやはり薦められたニシン科の魚の卵の赤ピーマンソース煮、同じくグアダルキビル川で獲れるボラのソテー、そして隣のお客さんが美味そうに食べていた大きな手長エビのボイルをもらう。ビールを3杯。パンもついてこれで6ユーロ(約800円)、大満足で財布を出そうとしたところで、カウンターにいた「息子の方」(推定)がやってきた。「あっちのひとたちが、君と知り合いになりたいって言ってるんだけど、良い?」
指差す方を振り向くと、赤ら顔した件の「おじさん友の会」の面々が、イソギンチャクのようにユラユラと手招きをしている。そりゃもう、私もコリアのことでぜひいろいろ話を聞きたいのでよろしく頼んます、と言いながら、おじさんの輪に入れてもらう。

「おじさん友の会」と私。左は「息子の方」ラモン
さっそく「えっと、ハポンさんという名前のひとを探しているのですが……」と切り出すと、みんなが一斉に左から2番目のセニョールを指差す。セニョールはおもむろに立ち上がり、私に手を差し伸べて言ったね。「俺、マヌエル・ハポンっていうんだ」
嗚呼、なんという奇跡でせう。神様、ハセクラチュネナガさま、ありがとう。かくして私はついに、念願の対面を果たしたのだった。「じゃ、マヌエルは、サムライの子孫なの?」「もちろん! ハセクラチュネナガは俺のじいさんさ」 400年前のひとが祖父というのは、いかになんでもひどすぎる。でも祖先という意味なのかもしれない。ん? にしても支倉常長本人ではないような気がするが……、ま、そんな細かいことはどうでもいい。私には、どうしても訊きたいことがあるんだ。「マヌエル、教えて欲しいことがあるのだけど。小さいころ、蒙古斑ありました?」
ハポンという名字だけでも充分だ。だけどもしハポンさんに、日本人にお馴染みの蒙古斑が出ていたとしたなら、なんだかもっと「血」ってやつを感じられるじゃないか。マドリードではとんと聞いたことがないし、アメリカやカナダに至っては医師までが蒙古斑を幼児虐待の証拠と勘違いして警察に通報することもあるという。そんな珍しい蒙古斑がもしここのハポンさんたちに出ていたとしたら……。
「蒙古斑って?」「えーっと、紫色の染みみたいなので……」「あぁ、『トマト』のことか! 肌に現れるやつだろう? 俺は自分のことはわからんけど、姪っ子たちにはあるよ」 おっ、と色めき立つ間もなく、おじさん友の会のあちこちから「俺んとこの子どもにもあるよ」「うちの姪にもあるぞー」と、次々に声が上がる。ひえぇ。どうも、日本の侍の血は、いまも確実にコリアの人々に流れているようである。なんせコリアのひとは、蒙古斑が出るのをふつうのことだと思っていたのだ。しばし、お互いの蒙古斑自慢が続く。いやはや、まさかスペインのアンダルシアで、蒙古斑談義に華が咲くとは。
ビールや食後の甘いリキュールを何杯かごちそうになりながら、「おじさん友の会」の話を聞く。気の合った仲間が集まって食事をするというこの楽しげな会は、15年の間ずっと、毎週金曜にこのバルで開かれているという。バルの名前のラモンというのは、カウンターにいた「息子の方」の名前。勝手にビールを注いでいた写真右端のおじさんは、実はラモンのお父さんなんだとか。やがて店を閉めたラモンのお母さんや、奥で手伝っていた妹も出てきてテーブルを囲む。
「コリアははじめて? なんだ今日帰っちゃうの、もったいない。そうだ、9月にフェリア(祭り)があるからおいで、おいで。うちらのカセタに招待するから」
アンダルシア地方のフェリアは、セビージャに代表されるように、フラメンコ衣装で着飾った老若男女が、1週間くらいずっと飲んで歌って踊ってを繰り広げるお祭りである。カセタというのはその会場となる仮設小屋のことで、一般的にはそのカセタを主催する地域の会のメンバーと、家族や親しい友人だけしか入れない。いままで興味あったものの、入れるカセタもなくちゃなぁと及び腰だったので、急にこうして親しく誘ってもらって、ワァ、と心底うれしくなった。
「踊りは?」「セビジャーナス(盆踊りフラメンコ)を少し習ってたけど、忘れちゃって」「あぁそれならだいじょうぶ、あいつはフラメンコの先生だよ」 すっくと左から3番目、素足に革靴の、これも「仙台つながりで伊達男!」とでも囃したくなるようなセニョールが立ち上がる。すかさず手拍子が起こり、歌がはじまり、私は無理やり引っ張り出されてヘロヘロの腰砕けダンスを披露する羽目に。うぅむ、9月までに復習しとこう。
気がつくと6時になっている。あぁもうセビージャに帰らなきゃ。お勘定を頼むと、みんなが「今日は奢りだよーっ!」「いいからいいから、いつか日本で寿司奢ってくれぃ!」と手を振った。あぁもう、なんてことでしょ。ジカタビ連載長しといえども、こんなのは本当の本当にはじめてだ。
「そうだ、日本のひとたちに、ぜひコリア村のバル・ラモンにおいで、って書いといてくれよ。とくに女の子は大歓迎だって!」
BAR RAMON
Avda. de Andalucia, 175 Coria del Rio (Sevilla)
TEL / 954-771-860
魚卵料理は"Hueva de Saboga"(ウエバ・デ・サボガ)
興奮冷めやらぬままセビージャ行きのバスを待っていると、老婦人に「暑いわねぇ」と声を掛けられた。「あなた、日本人? ここにハセクラチュネナガの像があるの、知ってる? 私は足が悪いから案内できないけど、そうね、誰かに案内してもらうように頼みましょうか?」 デ・ジャ・ヴ?
ひとが、飛びっきりあたたかい。しかも美女に伊達男揃いときたもんだ。そして食べ物が美味しい。おまけに、空が最高に澄みわたっている。たしかに、コリアの町は最高だった。セビージャへ帰るバスに乗るのが、惜しくて仕方なかった。
この地に残ることを選んだ400年前の侍の気持ちが、少しわかったような気がした。