■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回~第50回まで

第51回:Vietnam (6)
第53回:Vietnam (7)
第53回:Vietnam (8)
第54回:Vietnam (9)
第55回:Vietnam (10)
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■更新予定日:毎週木曜日

第74回:Thailand 2 (1)

更新日2008/01/24


電池が切れかけた時計のような時の歩みのラオスからタイへ戻ってくると、改めてこの国の喧騒に驚かされる。ほとんど同じ言語を使い、民族的にも兄弟のこの隣り合わせの国で、どうしてこんなにも違いが生まれるのだろう。とにかく穏やかなラオスの人たちに比べて、開放的で賑やかなこのタイの国の人たちは、こちらがびっくりするくらいにフレンドリーで、時にそれが商売なのか親切心なのかわからなくなってしまうことすらある。

街中に溢れかえる電気製品と豊富な大量消費商品は、質素な暮らしの中に美しさを見出していた我々に新たな消費欲を掻き立ててくれた。タイの中では取り立てて都会というほどの都会でもないノーンカーイの町だが、ラオスから戻ってきてみるとそれなりに一端の都会を感じさせてくれるから不思議だ。そのノーンカーイで2日間を過ごし、夜行列車でバンコクへ向かった。

東南アジアの国々を旅する人たちにとってこのバンコクという街は、地理的にも旅行の手配の上でもいわば交差点のような役割を果たしてくれるので、どこか他の地域へ向かうたびにここを通過することになることが多い。ただしこのバンコクの恐ろしいところは、その余りの居心地の良さにただの通過点にするつもりがついつい長居してしまうというところである。

我々もここからタイの南部へ向かうための通過点にするつもりで立ち寄っただけなのだが、気がつけばだらだらと何をしたという覚えもないままに2週間近くを過ごしていた。まともな生活をしている人間からしてみれば、2週間というのはそれなりに長い時間であるし、これだけの長期休暇を取れる社会人というのも日本ではそれほどいないであろう。それにもかかわらず、こういう長旅を続けている人間にとっては、「気がつけば…」ということがあってしまうのが恐ろしいところである。

バンコクで無為に時間を過ごした後、我々はこの街から北西に数時間の場所に位置するカンチャナブリへ向かうことにした。カンチャナブリといえば、映画ファンならば、「ああ、あの橋のかかっていたところね」とすぐに思い出すかもしれない。第30回アカデミー作品賞受賞作品の戦場にかける橋(The Bridge on The River Kwai)の舞台になったクワイ川が町の真ん中を貫く場所、それがカンチャナブリである。

旧日本軍が過酷なビルマ戦線を戦い抜く上で重要な補給路としての役割を果たす泰緬鉄道を敷くために、イギリスやオーストラリアなどの捕虜を動員して強制労働を課した姿を知りたければ、先に上げたデビッド・リーンの戦場に架ける橋を見ていただくとよいかもしれない。

映画の中ではあまりにステレオタイプだといえばステレオタイプだが、日本人、イギリス人、オーストラリア人、アメリカ人とそれぞれにまさに絵に描いたような性格と行動を示し、イギリス人捕虜は敵国の軍事の要となる橋を誇りを持って完成させるというストーリーがいろんな思惑に絡めながら展開していくのだが、実際にはこの橋の設計と建設は旧日本軍建設部隊によるというのが本当のところで、映画の中のストーリーはあくまで映画用のシナリオであったということらしい。

この地には今でもこの鉄道に関わる重労働と戦争時の傷跡を紹介する博物館が建っているのだが、もちろん鉄道自身も今でも残されていて、その線路の上を走る汽車に乗ってみることができるようになっていた。この列車の最大の見所はなんと言っても泰緬鉄道建設時最大の難関であったとされるアルヒル浅道橋だろう。クワイ川に迫り出すように聳える崖の脇を、木を組んで作った浅道橋が続く場所である。

日本軍鉄道建設隊が敷いたこの汽車での短い旅を体験した後は、タイ人がタイ国内で一番多く訪れるというこのカンチャナブリの最大の観光名所エラワン国立公園へと向かった。

エラワン国立公園内には、7つの大きな滝があり、その滝つぼでは水遊びをして楽しめるようになっている。真っ青な色をしたこの滝つぼは、暑いタイでありながら心地よい涼風が吹く中を蝶が舞い、野生の猿が近くまで挨拶に来たり、人を恐れない小魚が水中で体をつついてきたりという具合で、タイ人のみならず欧米人の姿も数多く見られるバンコクから程近いとは思えないほどの自然の宝庫になっていた。

カンチャナブリの町へ戻り、あの有名な橋の袂でいつもバックパックに忍ばせている釣り糸を垂らしていたら、地元の男性が寄ってきて、「ここの魚はバナナで釣るんだよ」と教えてくれた。バナナで魚を釣ったことなんか自分にはなかったが、地元の人が勧めるのだからと店でバナナをわざわざ買ってきて試してみたら、10分もしないうちになんと50cmを超すなまずが釣れてしまった。日本のなまずもバナナで釣れるのだろか・・・。

翌朝はここに来る前からぜひ行きたいと目をつけていた、旧日本軍が発見したとされるヒンダー温泉へ足を伸ばしてみることにした。カンチャナブリの町からバスを乗り継いで3時間ほどのところにある小さな温泉だが、想像していた微温湯の温泉なんぞではなく、小さな川の畔にきちんとした浴槽があって、つかるとぽかぽかしてくるだけの温度をしっかりもった温泉であった。

ただし、そこはやっぱりタイ。日本と違って、温泉の湯がちょっと汚いのと、浴槽には苔が生えていて湯もちょっと緑がかっていたりはしたが、まあ旅の疲れを癒してくれる温泉にのんびりつかれただけでもありがたいと思わなければならないというものである。ジャングルと灼熱と病魔に犯されながら想像を絶する状況で戦いを続けた旧日本軍の兵士たちも、ここで束の間の疲れを癒したのだろうか・・・。

バンコクからはほんの数時間の場所にありながら、旧日本軍の残した足跡、エラワン国立公園の自然、そしてヒンダー温泉となかなか満喫した短い旅を終え、再びバンコクの街へと戻ってきた。

…つづく

 

 

第75回:Thailand 2 (2