■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回~第50回まで

第51回:Vietnam (6)
第53回:Vietnam (7)
第53回:Vietnam (8)
第54回:Vietnam (9)
第55回:Vietnam (10)
第56回:Cambodia (1)
第57回:Cambodia (2)
第58回:Cambodia (3)
第59回:Cambodia (4)
第60回:Cambodia (5)
第61回:Thailand (1)
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第64回:Thailand (4)
第65回:Thailand (5)
第66回:Thailand (6)
第67回:Thailand (7)
第68回:Thailand (8)
第69回:Thailand (9)
第70回:Burma (1)
第71回:Laos (1
第72回:Laos (2)


■更新予定日:毎週木曜日

第73回:Laos (3)

更新日2007/11/15


あまりに居心地の良いルアンパバーンを去るのは心惜しかったが、この先も旅を続けたいと考えている以上はいつまでもここにいるわけにもいかない。長くて2泊の渡り鳥の生活を続けてきただけに、1週間も同じ宿にいるとなんだか自分のアパートか何かのように居心地が良くなってしまうが、そんな部屋に散らばった荷物をバックパックに無理やり詰め込んで、8人乗りのバンの屋根に地元民の鶏の籠や雑貨と一緒くたに、そのバックパックを縛り付けて次の目的地であるバンビエンへ向かう。

ルアンパバンからバンビエンへ向かう国道13号線は、のんびりとした田園風景が広がるラオスに似つかわしくなく、反政府ゲリラや山賊による襲撃事件が頻発するというなんとも物騒なルートであったが、空は空でまたラオス航空という安全上大いに問題のある航空会社であることや、ラオスの桂林といわれるバンビエンに立ち寄るためには陸路しかないということで、結局バンに乗っての移動を選択した。

道中、峠を越える時に機関銃を持った検問兵が現れる度に、「山賊か?」と心配になったが、どうやら我々がバンビエンに到着するまではこれといって危険な出来事もなく、ボロボロの掘っ立て小屋の脇でぼろぼろの服を着て笑顔を振りまく子供たち、それにマチュピチュのような尖った岩山が顔を覗かせるなど、陸路にして正解だったと思える素朴なラオスの姿を堪能することができた。

 

ただし我々が安全だったからといって、このルートが安全であるというわけではなく、我々が通る2週間ほど前にも、そしてその後も政府軍との戦闘や、山賊による銃撃でバスの乗客に死人が出るなどのニュースが聞こえてきた。

絶景が続く13号線の旅を終え到着したバンビエンは、まるでバックパッカーのために成立しているといっても過言ではないほどの、退廃的な貧乏旅行者天国になっていた。確かにその町から眺めることのできる光景は、本場中国の桂林に負けないほどの山水画のようなレモンストーンの山並みと、悠々と流れるソン川の川面など、まるで桃源郷のような景観をしているのだが、はっと町並みに目をやると、そこには我々の小汚さと競い合うかのような貧乏旅行者たちが群れをなし、食堂のTVから流れるタイからであろう最新式の違法DVDをやる気なく眺めている若者たち、そしてその食堂のメニューにはマジック・マッシュルームやらガンジャやらのオンパレード。規模は小さいなれども、ゴアに匹敵するバックパッカー天国が広がっていた。

その夜に泊まった宿でも、宿中の壁という壁にまでマリファナの甘い匂いが染み込んでいるような具合であった。なんだかこれまでに通過してきたラオスの町並みに対する印象が覆されるようなバンビエンの狂騒振りに呆れ返りつつ、貧乏旅行者にとって居心地が良いといえば良いこの町を早々に後にして、ラオスの首都ビエンチャンへ向かった。


ビエンチャンが近づくにつれ、いかに小国ラオスといえども舗装された道路が広がりコンクリートの建物が道路わきに並ぶ、それなりに近代化した光景が目立ちだした。タイにいたころに聞いた話では、「タイからラオスに入った時にまずびっくりするのは、その首都というのが信じられないような静かさだ」ということであったのだが、実際にこの街を訪れてみると、今までずっと田舎続きだっただけにその発展振りにびっくりしてしまった。まあ東南アジアの優等生タイからこの街へ直接入るのと、ラオス北部の山間部を巡った後で訪れるのでは随分と印象が違ってくるのは当然といえば当然かもしれなかった。

「世界一小さい首都だ。あんなに静かな首都があるんだ。何もない首都。」といろんな話を聞かされていただけに、想像していたよりもずっと大きな街であったビエンチャン。まったく人の聞いた話は当てにならないというべきか、それぞれの旅人の辿るルートや経験によって、例え同じ街であってもこんなにも感想が違うのかと改めて驚かされた。

ビエンチャンではその物価の安さに惹かれて、古くなったTシャツや小物をどんどん新たなものに入れ替え、メコン川の畔に集まる屋台が出す焼き鳥や焼き魚をじゃんじゃん堪能した。食事と言えば忘れてはならないのが、「ビアラオ」。ラオスが誇るこのビールのビアラオは、どうしてなのか分からないが何ともうまく表現できない味わいを持つ、東南アジアナンバー1のビールなのである。その屋台が集まる川原で、小さな女の子が売っていた籠に入った雀は、それを空に放ってやると幸せが訪れるのだという。

とりあえず何もないといえば何もないのかもしれない刺激の少ない街ではあったが、それなりの規模を持つ街だけあって、お金さえ出せばほとんどのものは手に入った。そしてもちろんそのお金というものの価値が、この国ではドルや円を持つ者にとっては信じがたいほど垣根の低いものだったのはいうまでもない。そういうわけでフランス統治時代の名残を残すフレンチのフルコースや、かつての宮殿を改築して営業しているホテルなど、貧乏旅行を続けてきた身にとっては久々の贅沢を味わいつくした。

ビエンチャンで贅沢三昧の数日を過ごした後、いよいよこの国を離れるべく国境へと向かった。だが、国境を越えてタイへ再入国する前に、噂に聞いていたブッダパークへ立ち寄ってからではあるが。

ブッダパークことワット・シェンクアンという名の寺は、新興宗教の創設者にして奇想天外なデザインセンスを持つ修行僧ルアン・プーが、一代で築き上げたなんともハチャメチャな巨大仏像が点在する不思議な公園なのだ。ただし、このルアン・プー、ラオスが社会主義化した暁にメコン川の対岸にあるタイ側のノーンカーイに移り住み、そこに新たなワット・ケークという名の寺を築いている。

別に仏教徒でもない自分が言うのも何なのだが、その場所に行かなければ体験できない、この言葉ではうまく表現しようとしてもできないレベルの奇天烈な仏像たちのオンパレードは、ちょっと度を過ぎているというか、ありがたみのかけらすらも感じられないのは、自分が彼の完成とかけ離れすぎているからなのかもしれなかった。

ブッダパークでまったく理解不可能な仏像たちを見物した後で、いよいよメコン川を跨いでタイとラオスを結ぶ友好橋を越えタイへ舞い戻った。

…つづく

 

 

第74回:Thailand 2 (1)