■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回~第50回まで

第51回:Vietnam (6)
第53回:Vietnam (7)
第53回:Vietnam (8)
第54回:Vietnam (9)
第55回:Vietnam (10)
第56回:Cambodia (1)
第57回:Cambodia (2)
第58回:Cambodia (3)
第59回:Cambodia (4)
第60回:Cambodia (5)
第61回:Thailand (1)
第62回:Thailand (2)
第63回:Thailand (3)
第64回:Thailand (4)
第65回:Thailand (5)
第66回:Thailand (6)
第67回:Thailand (7)
第68回:Thailand (8)
第69回:Thailand (9)
第70回:Burma (1)
第71回:Laos (1


■更新予定日:毎週木曜日

第72回:Laos (2)

更新日2007/11/08


ラオスの朝の風物詩にもなっている早朝の托鉢を見るために、毎朝5時過ぎにはベッドを抜け出して、通りを静かに歩いて行く少年僧たちの列を眺め、にこやかな地元民に混じって食堂でカオソイを啜り、思いつくままにこの小さな古都をぶらぶらと散策し、丘の上からひっそりと佇む町並みを眺めたり、悠々と流れるメコンを眺めながら読書をして過ごす。メコンに夕日が沈む頃、そんなゆっくりとした一日も終わりを迎え、また市場へ繰り出して地元民と一緒に素朴な夕食をとる。

日本やアメリカでテレビのCMから流れてくる新製品を眺めながら、「ああ、あれが欲しい。いやこれは絶対に買わなければ」、なんて際限のない消費意欲に毒されていたのが馬鹿馬鹿しくなるほどに、そこには人としての生活に必要な癒しがあった。もちろん旅人がそう感じるのと、そこに暮らす人々の悩みはまた違ったものなのかもしれないが、とにかくそう思わせるに足る充実した気持ちゆとりを味わせてくれた。

そんな心を洗われるようなルアンパバーンでの日々が1週間ほど経った夕方、メコンに何が釣れるともなく釣り糸を垂らしていると、地元の少年が、「ここでの釣りはこうするんだよ」と話しかけてきた。旅に出るときには必ずバッグに小さな折りたたみ式の竿と釣具を忍ばせておくほどの釣りキチの自分だが、世界の各地にはそれこそ数え切れないほどの釣りに関する小さなノウハウがあって、それらを書きまとめただけでもかなりの書物ができそうなほどである。少年と釣りの話で盛り上がり、翌日はメコンで猟師をしているという彼の父親を紹介してもらうことになった。

朝早く、昨日出会ったメコンの畔で待ち合わせ、そこから彼の父親の小さな木製の船で1時間ほどメコンを遡り、ジャングルの中にある彼らの家に招待された。まるで弥生時代のような藁葺の高床式の家が数件寄り集まっただけの小さな集落は、外人が訪れることなどまずないのであろう、我々が船から降りると集落中の子供たちがわっと繰り出してきた。その後も、我々が歩くところずっと物珍しげに付いてまわるこの子供たちの笑顔は、この何もない集落にとても素晴らしい花を咲かせているようだった。

父親と一緒にメコンに向かい、そこで投網や手釣りで見たこともない魚をいろいろと採ることができた。2メートル四方ほどの小さな投網なのだが、これをパァ~ッと足元に投げ入れると、それだけでたくさんの魚が採れてしまうのだから、このメコンという川の魚影の濃さは驚くべきものがあった。川で1時間ほど漁をした後で今度は母親と一緒に山へ向かい、そこで山菜の束をいくつか手に入れて、彼らの家でそれらを料理するところを見せてもらった。

家といっても木の柱に藁の屋根を被せただけのような簡素な造りの家だから、台所もまるでキャンプ場にあるような囲炉裏とも呼べない石で囲んだだけの簡単ものであった。その囲炉裏に火を起こし、家の裏にあるアメリカ軍の砲弾の殻を利用した桶に溜まった雨水を沸かし、それで魚と山菜の料理を作るのだ。こんなのどかな集落にアメリカ軍の置き土産というのがなんだか不似合いだったが、ベトナム戦争時にこのラオスには、ベトナムへの補給路を絶つために、太平洋戦争の総使用量に匹敵するというベトナム本土の、さらに3倍もの爆弾が投下されたという。

集落中の子供たちが物珍しそうに我々を見物する中、村の人たちと一緒にこの素朴な郷土料理を、彼らに習って箸を使わずに手で摘みながら堪能した。食事の間、村の人たちが、「ルアンパバーンには電気が通っているが、隣の集落にも近々電気が通るらしんだ」と自慢げに語ってくれる姿を眺めながら、「この電気も水道も、そしてガスもない村にもそう遠くはないいつかは電気が通るのだろうな・・・」とそんな日のこの村の姿を想像してみた。

…つづく

 

 

第73回:Laos (3)