■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回~第50回まで

第51回:Vietnam (6)
第53回:Vietnam (7)
第53回:Vietnam (8)
第54回:Vietnam (9)
第55回:Vietnam (10)
第56回:Cambodia (1)
第57回:Cambodia (2)
第58回:Cambodia (3)


■更新予定日:毎週木曜日

第59回:Cambodia (4)

更新日2007/05/31


1時間ほど悪路のバイク旅が続いた後で、舗装された道路の広がるシェムリップの町に到着した。小さな町ではあったが、プノンペンの荒廃感漂う町並みに比べると、アンコールワットという一大観光拠点があるだけに、ここには未来への活気のようなものが感じられた。

そしてその活気は、町の外れから中心部へ近づくにつれてさらに大きくなっていき、バイクが乗りつけたゲストハウスの周辺には、数多くの新しいカフェやゲストハウスが立ち並び、ドライバーが案内してくれた清潔な宿には、きちんとしたシャワーまで完備されてあった。先にその宿に到着していたエリカと合流し、ここまで運んでくれたドライバーには悪いが、宿の料金が多少高めであったために、近くにあった窓のない安宿へ移動した。

それにしてもカンボジアというところは、経済的に発展していないために流通経路が未発達であるためなのか、ローカルの物価と旅行者相手の価格には他の東南アジアの国々に比べてもさらに大きな差があった。これまでも我々はローカルの人たちに混じって、屋台などで安くておいしい料理を食べてきたのだが、ここシェムリアップに関してはローカルの食事というものがかなり不衛生であるためか、さすがの貧乏旅行者も街中の旅行者相手のレストランで食事を摂っている姿が目立った。

町を歩いていた時に、おいしそうなにおいに釣られてふらっと席に着いた屋台では、我々のすぐ目の前にある簡易キッチンに並ぶおかずを皿に盛ってくれたのだが、その皿にご飯を盛ってくれる光景を見てさすがに食欲がネロンと萎えてしまった。というのも、何か黒いものが大量にふりかかっている具飯のような釜が奥に見えていたのだが、店のおばさんがそこへしゃもじをかざした瞬間に、その黒いものはバ~ッと飛び去り釜の中には白いご飯が現れたのだ。

そんな旅行者のほとんど来ない屋台での食事は不衛生である代わりに値段も安かったが、残念だったのは肝心の味のほうが他の東南アジアの屋台が安くてもおいしかったのに比べて、とてもおいしいとは呼べない代物であったことだ。

そういうわけで不味くて不衛生な料理は、さすがにいくら安くても食べる気はしないということで、この町では旅行者相手のレストランで食事をとることになったのだが、ローカルの屋台が安かったのに比べて、旅行者相手のレストランは、たいしておいしくもないのだが、内容から言えばアメリカのレストランよりもむしろ高いんじゃないかと思えるような価格設定をしていた。

もちろんいくら観光名所とはいえ、未だ再興への道を歩み出したばかりのこの国で、しかもジャングルの奥地にある町なのだから、値段が高くなってしまうのは当然なのかもしれないが、それを考慮しても旅行者相手のレストランでの食事は、貧乏旅行者にとってはあまり歓迎のできる値段ではなかった。

旅人がこの町に来る最大の理由、それは言うまでもなくアンコール遺跡群を見るためである。ただしこの遺跡群、思っていたよりも広い地域に見所が散らばっていて、短期間で効率的に回るには、現地のシクロドライバーを雇うのが手っ取り早かった。もちろんホテルや観光業者が手配するドライバーもあるのだが、少しでも安くあげたい我々のような貧乏旅行者を目当てに売り込みをかけてくる輩がこの町にももちろん存在した。

2日目の夜にレストランで食事をしていると、日本語の流暢な若いカンボジア人男性が寄ってきて、「私は日本人をガイドするのが大好きだから、アンコールをガイドさせてくれないか?」と尋ねてきた。ガイドとドライバーの料金を合わせても、かなり安い値段を提示してきたので、怪しいなあと思いながらも、なんでそんなに安いのだと尋ねたら、「日本語の勉強をしたいから、日本人には特別料金を提示しているのだ」と言う。もちろん断ってもよいのだが、さすがに3日目にはアンコール観光をはじめないと、それほどここでのんびりしている時間もなかった。

翌朝、約束通りの時間に宿の前に現れたシクロドライバーは、昨日売込みをかけてきた若い男性とはまったく別人の年配のカンボジア人男性であった。このドライバーは、日本語どころか英語もろくに話せず、ガイドという役目はこの時点でまったくもって期待できないことが明らかであったが、彼は手振りを交えながら、「ブラザー、シック。シック」と、急病で代役としてきたのだということを伝えてきた。

もちろん急病の代役というのはまったくの嘘で、日本語の流暢な若い男性が売り込み役、この日本語も英語も話せない男性がドライバー役と分担して働いているのだろう。とにかくこちら側が支払う料金だけは、ガソリン代、ドライバー代を合わせて昨日と同じ価格で大丈夫だと理解し合えた時点で、彼のドライブでアンコール遺跡群観光に出ることにした。

旅には観光疲れとでもいうのか、旅が続くうちに刺激に対する感受性が薄れ始め、旅を始めたうちはどんなささいなことにでも感動していた新鮮な気持ちを失い、本来ならば誰もが一度は訪ねてみたいと願っているような観光名所ですらも、なんだか「ふ~ん、すごいんだなあ・・・」という、なんだかある意味投げやり的な感動にすり替わってしまう時期というのがある。

自分の場合にはこのアンコール遺跡群の観光をしている時にその波が来てしまったようで、実際に訪れる前はあれほど期待していたのにもかかわらず、アンコールワットやアンコールトムなどの有名どころはもちろん、その他にも周辺に点在する遺跡群を訪れても、どこか現実味のない絵空事を眺めているような空虚感に襲われていた。

どうして、こんなことになるのかはわからないが、とにかくこれは他の旅人にも現れる兆候のようで、旅の途中で会話を交わした旅人の中にはそんなことを経験したことのある人が多かった。長い旅を続ける人の中には、遺跡派と自然派というものが存在するのだということを主張する旅人もいたが、自分の場合にはむしろ現在進行形の生活や人の表情に惹かれるローカル派のようなものなのかもしれない。

その証拠に旅が続くにつれて、撮影済みのフィルムの中身からは、遺跡や自然のコマが減っていき、そこで暮らす人々の表情を切り取ったシーンが増えていく。

…つづく

 

 

第60回:Cambodia (5)