■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回~第50回まで

第51回:Vietnam (6)
第53回:Vietnam (7)
第53回:Vietnam (8)
第54回:Vietnam (9)


■更新予定日:毎週木曜日

第55回:Vietnam (10)

更新日2007/04/26


サイゴンの街中は、スズメバチを100匹ほどブリキのバケツに閉じ込めて激しく刺激を与えたような、バイクの騒音と群れに溢れかえっていた。なんでもこのサイゴンには200万台にも上るバイクがあるとされ、その数は世界で一番多いのだという。ちなみに、そのバイクはほとんどがホンダ製であり、時々ホンダのロゴを付けた中国製のバイクや、HONDAならぬHUNDAとかいう訳のわからぬメーカーのバイクが混じっていた。

その圧倒的な数のバイクには唖然とするしかないのだが、ハノイに比べると幾分通りを行き交うバイクの走行方法には、ある一定のルールがあるように見受けられた。地元民にしか分からないような路上のルールではあったが、それのおかげで街歩きに関しては、ハノイよりもバイクの波をすり抜けて道路の向かい側に渡るのは随分と楽であった。

ただし、そのバイクを利用したこの街のシクロドライバーたちに関しては、ハノイに比べると旅行者に対してずっとスレていて、とにかく支払いの段階になると必ず揉めるということで旅人の間ではよく知られていた。その悪名ぶりは、あえて口にするまでもないほどに有名で、客を乗せたまま仲間のいる場所へ走り去ったり、ふっかけた値段を呑まないと暴力を振るってきたりというよう具合である。

観光客に対するこの悪名ぶりを知り抜いているシクロドライバーたちは、この噂を聞いている乗客を安心させるために、日本人客には日本人に頼んで手書きしてもらった「手作りお勧めノート」を見せてきたりもする。ノートの中には、「このドライバーは親切です」とか、「○○さんは、親切に案内してくれてとってもお勧めです」とか書いてあった。確かにこういうノートを見せられると、ついうっかり「この人は良いドライバーなのかな?」なんて思ってしまうが、書かせるためだけにその客に特別に親切にしていたり、単純に大きくぼられたことに気がついていない日本人が書いたものだったりするから、この手のノートはさらに状況をややこしくする。

実際に、自分の経験でも短い滞在期間であったにもかかわらず、ドライバーの対応は最低で、このノートの効力もほとんど信用ならないものであったと言える。ちなみに面白いことに、欧米人にはお人よしの割合が少ないのか、それとも人の意見よりも個々の感性で動く人が多いのか、英語版のこの手のノートは、自分の滞在期間中に関する限りは、見せてくれといってもそれを持っているドライバーに出会うことはなかった。どちらにせよ、とにかくホーチミンのシクロには要注意である。

騒がしいホーチミンの街から北西へ60kmほど向かったところにあるクチは、ベトナム戦争時にアメリカに対するベトコンの抵抗拠点があった場所で、その辺り一帯の地下には、治療室、寝室、作戦会議室などの軍事施設が整えられた、総延長250kmものトンネルが掘られている。またこの地は、このトンネルを利用して神出鬼没のゲリラ戦を繰り広げたベトコンに手を焼いたアメリカ軍が、ダイオキシンの影響で未だに多くの被害者を苦しめ続けている枯葉剤を、大量に空から降り注いだことでも知られている。

このクチのツアーは、ベトナムへ来たからにはぜひ訪れてみたかった場所の一つであったのだが、そのツアー内容は我々にとって余り心地の良いものとは言えなかった。戦争記念館の時にも感じたのだが、まるでディズニー映画のようにベトナムとアメリカが、絶対悪と善の戦いとして仕立て上げられており、その一方的な展示内容は、戦争体験者でない自分にはかなり偏ったものに感じられた。ただし、あくまでそれは傍観者としての勝手な気持ちなので、真実がどこにあるのかということは知るべくもなく、それに対して簡単にどうのこうのと言うつもりはない。

じゃあ、その一方的な展示内容に対してどうのこうのと言うのでなければ、それ以外の理由でなぜ我々にとって余り心地良いツアーになれなかったのかというと、この場所が持つ未だに高濃度のダイオキシンが蓄積する戦場跡地という生々しい雰囲気と、暑苦しい亜熱帯のジャングルの中に掘られた狭く暗いトンネルを潜るツアーをしながら、いかにベトコンが苦しい戦争を戦い抜いたのかということを身をもって体験させられたことなどもあったかもしれない。

だが、決定的にこのツアー参加が居心地悪くなってしまったのは、ツアーガイドの青年が参加者の出身国を訪ねた後で、エリカがアメリカ人だということを知ると、まあここまでやるかというくらいに目をじっとエリカに合わせ、「American Never… American Never…」と、解説ごとに繰り返してきたからである。

木の杭でできたブービートラップを見せて、バッーン!とびっくりするような大きな音を立てて仕掛けを実演しては、「American Never… American Never…」、トンネル内でヤム芋の調理方法を示して、こんなに腐って臭い臭いになって蛆が湧いてたのを食べてたんだと話しては、「American Never… American Never…」、戦車や爆撃機で攻めてくる卑怯なアメリカ兵には、こうやって手榴弾とともに自爆攻撃したんだと話しては、「American Never… American Never…」と、とにかくエリカは目がクラクラして倒れそうになるほどに、ガイドの青年は目をじっと合わせて繰り返してきた。その強い怒りに満ちた大声と強い目線のガイドは、いつもこうなのか、それとも彼が特別なのか、ちょっと恐ろしくなるような気迫であった。

クチからホーチミンへ戻り、レイチェルと一緒に夜の屋台で1ドルも払えば大皿に一杯になるような、ハマグリやエビのから揚げをつまみにビアホイを飲みながら、ベトナム旅行の話しで盛り上がった。話しの合間で、しきりにエリカに向かって、「今日のツアーはごめんね」とか、「アメリカ人だからといって、あなたを睨む必要はないのにね」と繰り返すレイチェルを眺めながら、これが広島だったら、「American Never… American Never…」ではなくて、「戦争はどの国で、どの時代であろうと反対。平和を。。。」というような感じの感情になるのではないだろうかと、ベトナム人と日本人の感情の表現の仕方の違いを考えていた。

もちろんアメリカに負けた国と、勝ったとされている国では、その後の国民の戦争に対する気持ちの処理の仕方も違いがあるのかもしれないが、とにかくベトナム人というのは、フランスを打ち負かし、続いて超大国アメリカ、そして中国までを撃退したという自負があるからなのか、外国人に対しても物怖じするということがまったくない。

日本人が白人に話しかけられると、英語圏の人かどうかも確かめずにドギマギしながら、「ごめんなさい、英語はうまく話せません・・・」と控えめに話しかけるのとは、まったく対照的な国民性といってもよいのではないかと思う。

また、外国人に対して物怖じしないということ以外にも、民族の根に流れる気の強さみたいなものもあるのではないかという気がする。例えば、街角やシクロで吹っかけられた時にも、これがインド系であれば、「あっ、バレちゃった。ごめんごめん、でも君には今度安くするからさ。」みたいな対応があるものなのだが、ベトナム系の場合には、「吹っかけるも何も、他所は他所、この店はこの店だ。つべこべ言わずに払え!」というような雰囲気がある。

ベトナムという国の風土や文化、そして料理に関しては本当に興味深いものがあるのだが、旅をする上での相性とでも言えばいいのだろうか、自分には何だかちょっと疲れる国であった。

-…つづく

 

 

第56回:Cambodia (1)