■TukTuk Race~東南アジア気まま旅


藤河 信喜
(ふじかわ・のぶよし)



現住所:シカゴ(USA)
職業:分子生物学者/Ph.D、映像作家、旅人。
で、誰あんた?:医学部で働いたり、山岳民族と暮らしたりと、大志なく、ただ赴くままに生きている人。
Blog→「ユキノヒノシマウマ」





第1回~第50回まで

第51回:Vietnam (6)
第53回:Vietnam (7)
第53回:Vietnam (8)
第54回:Vietnam (9)
第55回:Vietnam (10)
第56回:Cambodia (1)
第57回:Cambodia (2)
第58回:Cambodia (3)
第59回:Cambodia (4)
第60回:Cambodia (5)
第61回:Thailand (1)
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第63回:Thailand (3)
第64回:Thailand (4)
第65回:Thailand (5)
第66回:Thailand (6)


■更新予定日:毎週木曜日

第67回:Thailand (7)

更新日2007/09/27


「いよいよ最終日である」。そう思うだけでも多少なりとも気が楽であったが、この日は全般に下りばかりの行程ということもあって、ツアーの最終プランに含まれている竹筏下りの出発点になっている川べりに午後遅く到着しても、意外に疲れは感じなかった。むしろやっとこの苦しいトレッキングが終わったということと、この馬鹿げたガイドとお別れできるのだという満足感で清々しさすら感じることができた。

この竹筏下りは、トレッキングツアーの参加者だけではなく、これだけのためのツアーも組まれているほどの人気ということで、この日も筏下りの場所には多くの参加者が集まっていた。筏は3mほどの長さの竹を10本ほど結び合わせただけの簡単な作りのもので、これに観光客を乗せて川を1時間ほど下ったら、そこで竹を再度ばらしてここまで運んでくるというものであった。

4日間も過酷な山岳トレッキングをこなして来たということもあって、この筏下りは始める前から浮き浮きとした気持ちを抑えきれないほど楽しみにしていたのだが、この日もやはり我々はガイドの貧乏くじを引いてしまったようだった。筏には2~4人ずつの参加者が乗り込むのだが、筏につき一人ずつの船頭が付くことになっている。我々の船頭はまだ15~17歳くらいの少年で、明るくて元気なのはよかったのだが、この彼が我々を楽しませようとやたらと筏を大げさに揺らしてはしゃぎまわるので、急流に差し掛かったところで筏を結び合わせていた紐が解けて竹がバラけてしまった。

雨季ということもあって、濁った川の勢いは思いのほか強く、足が川底に着かないのはもちろんのこと、流れに逆らって岸へ向かおうとしてもまったく自由が利かないままに、ただただ下流へ向かって一気に20mほども押し流されてしまった。川自体は川幅8~10mと、それほど大きなものではないのだが、いかんせん雨季の川ということで流れが強い。

エリカも自分も、そして船頭の少年も川底が胸の辺りまで浅くなった場所に、岸から2mほど水面すれすれのところに突き出ていた大きな木の枝に掴まって、やっとのことで流されるのを踏み留まることができたのだが、ここから岸へ這い上がろうともがいてもなかなか上がることができなかった。運よくこの木が浅瀬にあったことが救いで、ここなら足も底に着いた。ただ足は着くとはいっても、この木がなければ流れの強さからいってとてもこの場所に留まれはしなかっただろう。

ライフジャケットをそれぞれに身につけていたということもあって、流れに飲まれつつもなんとか表面に浮いたままこの木の元まで無事流れ着いたのだが、今は逆にそのライフジャケットが強烈な板となって流れの抵抗を直接受け止める役目を果たし、岸までのほんの数メートルを進むのを困難にしていた。とうとうこれを着ていたのでは埒が明かないと思ったのか、少年はライフジャケットを外した身軽な身で木の枝を頼りに流れと争いながら岸へ向かった。

一旦岸へ上がった彼は、さすがにタイの少年だけあって心強く、再度木によじ登ると、今度はしっかりとした太い枝から我々のところまでやって来て、手を伸ばして一人ずつ枝へ向かって引っ張り上げて岸へと連れ戻してくれた。

それにしても水難事故というものが、なぜこうも頻繁に起こるのか、身をもって少しだけわかった気がした。自分自身も子供の頃はスイミングクラブに所属していたこともあるし、それほど金槌というわけではないほうだ。にもかかわらず、岸までほんの数メートルの距離がこんなにも長いものであるのだということをこれまで考えたこともなかったし、濁流の流れというものは例え足がつくような川底の場所でも、十分に人を恐怖に陥れるだけのものがあるのだということを全くもって思い知らされた。

ちなみに岸へ上がった少年は、「今日は上流で降った雨のせいで水かさがかなり増していたので、筏下りを中止にしようかとも考えていたんだ。こんなことになってしまって、ごめんなさい。」と素直に謝ってきた。

「しかし助かったからよかったものの、謝られても、もし溺れていたらどうしようもなかったんだよ」と尋ねると。
「こんなに流れがきつい場所があるとは思わなかったよ。普段は筏から川へ飛び込んだりもするんだよ。」と答えてきた。

やはり川というか自然というものは恐ろしい。この少年のようにこの川を知り尽くしていて、普段は泳げるような流れの川でも、ちょっと水かさが増すだけでこんな恐怖を体験させられてしまうのだから。

川から岸へ無事に上がったことでとりあえず命の危険はなくなった我々だったが、ここからがまた大変で、半ばジャングルと化している川べりに人が通れる道などもちろんなく、ここから川下の筏下りの終着点までを結ぶ筏運搬用の砂利道がある地点までの約1キロの道のりは、川沿いにうっそうと茂る緑を掻き分け、その辺りに潜むヒルや毒蛇に怯えながらの、今朝までのトレッキングすら生易しく感じられるほどの強行軍となった。

特にこのトレッキングを耐え難いものにしたのは、筏に乗り込む時点で濡れるからということで脱ぎ捨てていた、山岳トレッキング時に履いていた快適なスニーカーを持っていなかったことだ。この棘や尖った小石が延々と連なり、幾十にも蔦が重なりあう道を素足で歩くのは普通の都市生活をしている限り、まず体験することがない苦痛であった。

歩き出して200mほども進んだところで、3人とも足の皮が剥けて擦り傷から血が滲み出し、どこからともなく這い出してきて体中のあらゆる場所に噛み付いてくる赤い色をした蟻の襲撃と戦わなければならなかったのだから。

なかでもこの蟻の襲撃は発狂してしまいそうなほどの苦痛で、服やら髪の中まで無数に這いこんでくるために、どれだけ払い除けようとしても全くその行為自体が無駄と思えるほどであった。

結局、砂利道までほうほうの態で這い出してきて、筏運搬車の荷台に乗り込んだ頃には、3人ともこの蟻の襲撃のせいで体中がパンパンに腫上がっていた。

…つづく

 

 

第68回:Thailand (8)