第51回:Vietnam (6)
更新日2007/03/29
フエの町からホイアンの町へは、バスで数時間ほどの近距離であった。ホイアンという名のこの小さな町と日本との繋がりは古く、町の中心部にある通称、日本橋と呼ばれる来遠橋は、1593年に日本人によって建設されたという話である。
この屋根つきの面白いデザインをした橋は、ベトナム戦争の荒波を生き残って今でもしっかりと保存されており、橋にはホイアン名物のランタンを模してか、日本語が書かれた日本風の提灯までかけられていた。かつては国際的な貿易港として知られたホイアンでは、この橋を挟んで片側が中華街として、そしてもう片側が日本街として栄えたという。
半日もあれば十分に歩いて回れるほどの大きさの町であったが、ベトナム戦争の戦火を免れた町ということもあって、石造りの家々や路地の草臥れ具合に趣があり、時間さえあれば、こういう街で1週間ほども過ごしてみたくなるような場所であった。
また、昔ながらの民家を利用した土産屋に並ぶ小物類が、ベトナムらしいセンスあふれるデザインでありながらも、ハノイに比べると随分と値段も安かった。そういうこともあって、旅の途中で訪ねる先々で土産らしいものはほとんど買わない我々だったが、この町ではエリカがオーダーメイドのスカートを一着仕立ててもらった。
但し、オーダーメードとはいっても、生地と仕立ての費用などすべて込みで7ドルほどなのだから、アメリカや日本であれば考えられない値段である。あれやこれやと注文しながら仕立ててもらうという行為自体が楽しいし、貧乏旅行中ということもあって、ろくな洋服を持っていなかったエリカにとっては、ここで仕立てたスカートが、安価でありながらも、ある意味余所行きの服装として活躍することになった。
スカートを仕立てた後は、町の長屋を利用したベトナム料理教室にも参加してみた。そこは朝と夜はベトナム料理レストランとして営業しており、午後の数時間にベトナム料理教室を開いていた。料理の内容は、30歳そこそこのベトナム人男性シェフが、レストランのメニューに並んでいる品の中から、初心者でも作りやすい料理を選んで教えてくれるというものであった。
まず彼と一緒に市場へ向かい、そこで野菜や肉などの素材を選別する。社会主義国家とはいいながらも、いつでもどこでも市場を開くベトナムらしい見慣れた光景が広がるが、こうやってレストランを経営するシェフと一緒に買い物に出かけるというのは、これはこれでまた新鮮で面白いものである。
レストランへ戻ると、市場で仕入れた食材をテーブルに並べ、まずは30分ほどに渡って、ベトナム料理の歴史のようなものを解説してくれた。ベトナム料理といえば、中国とフランスの食文化の影響を強く受けているというのはよく知っていたが、彼の話してくれる中部ベトナムの食文化と、北と南のそれとの違いというのは、今まで知らないことばかりで楽しく話を聞くことができた。
なんでも、北は昔から食糧危機に陥ることも多いほど意外にも痩せた土地で、食材という意味では他の地域に比べれば選択肢が限られており、味付けも簡潔で塩などを基調にしたあっさりしたものが多い、それに対して南では、メコン川の河口に広がるデルタの豊かな土壌が育む豊富な食材をもとに、新鮮な魚介類と穀物をふんだんに使った甘い味付けのものが多いということであった。
そして、我々が料理を学んだ中部のベトナム料理というのは、かつて王宮の地であったことから、そこで供されていた洗練された料理の系譜を踏んでおり、味付けの特徴としては、淡白な味がベースのベトナム料理では珍しく、多少スパイスが効いている料理だという。
そんなベトナム料理の基本を頭に入れてから調理した料理は、やっぱり自分たちで調理しただけになかなか特別な味覚だった。バ・ウ・ティ・ヌン(蒸し春巻き)、バイン・セオ(ベトナム風お好み焼き)、カー・コ・トー(煮魚)、カオ・ラウ(ホイアン風米うどん)、チェー(ぜんざい)、ベトナムコーヒーと、こんなに食べきれるのか心配になるほどの量を作ったのにもかかわらず、一緒に料理教室に参加したオーストラリア人とブラジル人と一緒に、結局それらを全部平らげてしまった。
少し早めの夕食を済ませ、日中のまどろむ様な熱気が少し収まってきた通りを、のんびりと歩いて腹ごなしした。ちょっとしたバケーション気分でのんびりと過ごした一日であっただけに、エリカも私もついつい気持ちのどこかが緩んできていたのかもしれなかった。気がつけばいつの間にか観光客の姿が目に付く地域を離れ、地元民が暮らす裏町の区域に入り込んでいた。
もちろん地元民が暮らす地域に足を踏み入れていたからといって、そのこと自体が危険を感じさせるというような土地柄ではなかった。むしろそこで暮らす人々は、目線が合うとにっこりと微笑んでくれたりもするのどかなものであった。ただし、そのことがまた我々をさらに油断させる一因にもなっていたのだが、歩き進んでいるうちに通りで遊んでいた10歳くらいの男の子が二人、「町の中を案内するよ」と言って話しかけてきた。
エリカはこの時点で、「子供とはいえ知らない土地でついて回るのは嫌だ」と、旅の経験から言ってきたのだが、自分は、「別段悪さをするような子供にも見えないし、まだ日も高いのだから大丈夫だろう」と言って、この小さなガイドについて町中を歩いてみることにしたのだった。
-…つづく
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